先日、『フルトヴェングラーとトーマス・マン ナチズムと芸術家』という一冊を読みました折、「ナチが政権党になったのは選挙の結果であるわけで…」てなことを言いましたけれど、世界史の教科書を思い出す限りにおいて、第一次大戦後のドイツが採用した「ヴァイマル憲法」(当時の教科書用語としては「ワイマール憲法」)は当時画期的に民主的なものであった…とされていたように思うところでして、それほどまでに民主的な憲法の下、政権を握ったばかりか、数々の非人道的政策を進められたものであるのか、考えてみれば不思議なわけですねえ。

 

そんなところから、このほどは『ヴァイマル憲法とヒトラー 戦後民主主義からファシズムへ』なる一冊を手に取ってみたですが、極めてざっくりと関わる言葉をひと言で挙げてみますと、そこにあったのは「なし崩し」であったのであるなと。しかもそれを許容した人々がいてこそ…でもありましょうかね。

 

 

細かいことは本書の記載に譲るとして、ヴァイマル共和国となったドイツが採用した選挙制度は、きわめて「死に票」の生じにくいものであったそうな。裏返してみれば、いわゆる民意をより反映できると想定したものといいましょうか。現在の日本の選挙制度で、毎度毎度「死に票」を投じる結果となっている者としては、こういうやり方もあるのであるなと思うところです。もっとも、選挙制度はどんなふうにしても、必ずどこかしらから突っ込みの出てしまうというところはありましょうけれど。

 

ともあれ、そんな民主的な選挙制度の下でナチスは選挙に勝ち、合法的に政権党となったからには当然にそれだけの票を投ずる人がいたということになりますなあ。ただでさえ第一次大戦の敗戦で打ちひしがれる中、ドイツの台頭を二度と許さないとする英仏による苛烈な賠償金による財政逼迫、それにダメ押しするように起こった世界恐慌と、ドイツの人たちはただただ俯いて過ごす以外なかったのでありましょう。

 

そんな状況から、威勢のいいこと(時期的に一般には口にしにくいドイツの栄光再び)を言ってくれるヒトラー、ナチスが注目されて…と考えるのはあながち誤りではないのでしょうけれど、それほどに単純なことではなかったようですね。だいたい、もっとも打ちひしがれている庶民層、現に失業の憂き目にあって食うや食わずの状態におかれてしまった人たちが票を投じたのはナチス以上に共産党であったといいます。ナチスに目を向けたのはむしろ最下層のちょいと上、そこここに庶民層の窮状を目の当たりにしつつ、やがては我々にもこの悲惨な状況が巡ってくるのかも…という不安を抱いた中間層といいますか、そこらへんを取り込んだ結果であるようで。

 

また、ヴァイマル憲法が制定当時において画期的なほどに民主的な憲法であったように、ヴァイマル共和国のかじ取りをした社会民主党政権は、ある意味、ドイツ帝国時代に権力を握っていた旧来層にはやっかいな存在であり、これの対抗勢力としてナチスに目を付けたということもあったようですなあ。後押しの動機が積極的であるか、消極的であるかはともかく、ナチスには追い風が吹いたとも言えましょうか。

 

そんなふうにして誕生したナチス政権は表立ってヴァイマル憲法を改正(改悪?)したりすることは無かった…とは「そうであったか…」と思うところですが、見事な?「なし崩し」が行われていくのでありますよ。例えば、議会で決めたことに対して国民が異議ある場合、「民衆投票」ができるようになっていたことに対して、議会を経ずして「民衆投票」に問い、結果を国策としてしまうやり方が取られたりもしたようで。「みなさんの意見を聴きますよ。その結果が国の決定になります」とは、庶民感覚としてはなんとなく聞こえがいい話でもあったでしょうから、憲法の条文を改変することなくそれに逸脱していても、いいじゃあないかとなったろうかと。

 

「民衆投票」が行われた事例の一つとしては、戦後処理の一環としてラインラント非武装化を決めたロカルノ条約を破棄して進駐することへの賛否が問われたことがあったようです。ラインラント進駐はなんとなし、軍事色の強いナチがヒトラーの号令の下で進めてしまったことかとも思っていたですが、民衆投票の結果は98.3%の賛同を背景にしていたとは。長らくやり場を失っていた「偉大な祖国ドイツ再び」の意識が噴出したのでもありますかねえ。

 

どうもポッと出の印象があるナチスですけれど、人身掌握に長じたところは政権党になってなお磨きがかかったとも言えましょうか。要するに、人々に都合のいいことと悪いことがあって、都合のいいことの都合よさが続いてほしいと願うあまり、都合の悪いことには目をつぶってしまうような状況を作っていったといいますか。

 

「失業者を無くします!」とヒトラーが叫べば、確かに何らかの仕事が与えられ、その実は戦時日本の勤労動員のようなもので、圧倒的に低い対価であっても、確かに仕事にはありつき、しかも輝かしい祖国の未来に向けた仕事であるとの満足感まで与えてしまうというわけで。本書にはこんな紹介がありましたですよ。

ナチス・ドイツ崩壊後に「あの時代は良かった」と回想した人々の多くが、社会的差別がなくなったことと、社会的な連帯感が生まれたことを、その理由に挙げています。

これを見て「!」と思いましたのは、ちょいと前の新聞で見かけたソ連時代のウクライナに関する記載なのですね。ソ連の支配下にあった当時、ウクライナはヨーロッパの穀物庫として知られるが故に、スターリンの計画経済の下に徹底搾取されて、「ホロドモール」という(人為的?)大飢饉が生じたわけですが、それでもなお、ウクライナ人の中にも「ソ連時代、暮らし向きに困ることはなかった。誰もが仕事を持ち、なんでも安く買えた」と語る人がいることを記事は伝えておりました。上の引用も同様ですけれど、個人レベルの感想を素直に表すならばこうも言えるのではありましょうが、それと同時並行的に起こっていたことに目をつぶってしまうのは、やっぱりどうなのであるか…と思ってしまうわけで。

 

個人レベルの現状維持安住感に浸るがあまりに大局観を無くしてしまうようであれば、ここに例示した国ばかりの話でなくなってしまいますですね。なにしろ憲法がなし崩しの状態になってきているのはよその国の話ではありませんし。加えて、先月(なんとNHKがよくまあ取り上げたことか)Eテレ『100分de名著』で扱われた『ショック・ドクトリン』が示唆する「国へのお任せ感の危うさ」も考え併せてみますと、繰り返してはならない歴史が繰り返すようなことにもつながりかねないのであるなと、考え込んでしまうのでありました。番組でも言ってましたですが、立ち止まって考えること、大事ですよね。