碓氷峠鉄道文化むらの屋外展示場で見た車両の数々、そのお話の続きと申しながら、鉄道図鑑みたいなふうに写真を並べるだけというのもなんだかなあ…とは。ただそうは言っても、先ごろには立て続けに写真データがぽしゃった(HDDの読み取り不良)経験上、過去の旅の記録などはもはやブログ頼みとなっており、こうしたUPもまた必要なことであるかと思っておりまして。何卒ご理解のほどを。

 

というエクスキューズはともかくも、写真、写真とまいりましょうかね。最初は普段、およそ見かけることのない車両でして、それもそのはず、除雪用の機関車となれば、東京で見かけることが無いのは当然かと。

 

 

右側のDD51形ディーゼル機関車は非電化区間を蒸気機関車に代わって走り、昭和の後半を大活躍したタイプですけれど、「大出力エンジンを搭載」しているが故に、この「動力ユニットを使用した大出力除雪用ディーゼル機関車」として左側のDD53形が誕生したのであるということで。

 

 

従来除雪車として使用されていたDD14形が「除雪速度が10km/hしか出ない」ために投入されたDD53形ですけれど、パワフル故にいささかかわいそうなことになったようで、説明書きにはこのように。

大出力ゆえ投雪で民家や電柱などに被害をd差し、皮肉にも里雪にはDD14形の方が良いということになり山岳地区に追いやられることになった。

結局のところ製造されたのは3台のみ、展示されている1号機は北海道で、残りの2台は新潟に活躍の場を見出したということですが、力が強すぎて役立たず扱いされてしまうとは、映画『グーニーズ』のスロースを思い出したりしたものでありますよ。

 

 

続いては旅客用のキハ20形気動車ですな。非電化区間で「全国各地に見られた」という気動車ながら、何やら妙に懐かしく感じるのは国鉄で、というよりも関東鉄道常総線で乗ったような…という感覚ですな。両親ともに茨城の出でして、帰郷の折に乗った常総線では国鉄のキハ20形をベースに変造した車両を使っていた時期があるようですので、それが既視感も元でしょうかね。

 

 

扉のところには「のりおりのときはドアを手であけてください」というシールが貼られてますですが、さすがに乗っていた車両は自動化されていたような気がするのですが、はて…。

 

 

またひとつ、変わったところでこんなミニ車両を。新幹線保線用トンネル巡回車というものでして、真ん中の引き戸を開けて保線区の作業員が2名、背中合わせで乗り込み、新幹線のトンネル内を点検して回るのだとか。

 

小さいからなのか、小さくせねばならなかったからなのか、この車両自体は新幹線の線路そのものを走るのではなくして、線路と線路の間をゴムタイヤで走るのだそうでありますよ。車高も低いので、当然に架線には届かないため、充電したバッテリーで走行するようでありますよ。

 

 

ついでにこちらは見ての通りお座敷列車の内部ですな。ちなみに展示車両のほとんどには内部に入れるようにとステップが設けられているのですが、車内見学できるのは陽気のいいシーズン(8月を除く3~10月)は土日祝のみで、8月と寒い時期(11~2月)は毎日のようで。なぜなんでしょうね…。ただ、お座敷列車は例外的に?入口部分から覗くことはできましたので、取り敢えず一枚。

 

てなことで、最初は鉄道図鑑もかくやと電気機関車の写真を並べるかとも考えておりましたですが、やっぱりそれほどのこだわりが無いことに気付いた次第(笑)。例によって思い出すことなどを絡めてこのくらいにしておくのが適当かと思い至った次第。とはいえ、碓氷峠鉄道文化むらのお話が長くなっていますけれど、最後に訪ねるのは鉄道資料館。碓氷峠攻略の鉄道史を振り返っておくことにいたしましょう。