…ということでJR信越本線に乗って、群馬県内どん詰まりの横川駅にたどり着いたところから続きのお話でございます。

 

月曜の朝とあって、今では乗降客はわずかな人数でひっそりと静まり返っている横川駅ですけれど、出入り口わきに置かれた鉄道の車輪が往時を物語るよすがでもありましょうね。このような説明書きがありました。

全国JR路線のなかで 最大の難所と言われた信越本線 横川~軽井沢間のシェルパとして平成9年9月30日まで活躍した「EF63-3号」機関車の動輪です。(株式会社 荻野屋所有)

 

シェルパというのは一般に、ヒマラヤなどの高山に登る際登山者のガイド役であり、サポート役でありといった方々のことでしょうけれど、ここでは碓氷峠を列車が越えるにあたってEF63形電気機関車が峠超えの手助けをしたことから「峠のシェルパ」と呼ばれたことを指しているのでありましょう。1960年代から長野新幹線(当時)が開業する1997年まで、東京方面から来た列車は横川駅でこの機関車を接続するための停車時間を要し、その時間を利用して乗客たちは横川駅の名物駅弁「峠の釜めし」を買いに走ったのですな。これも昭和らしいひとコマと言えましょうか。

 

 

ちなみに上の機関車の車輪は「荻野屋所有」となっていますけれど、この「おぎのや」こそ「峠の釜めし」の製造販売元でありますね。今ではホームに臨む売店は開店休業のような状態ながら、改札を抜けた目の前にはお食事処としてのおぎのやがどぉんと店を構えている…のですが、こちらも静かなもので。

 

 

駅の向こうにはここまで線路と並走したきた国道18号が走っていて、いよいよ碓氷バイパスとして峠越えに掛かる手前なだけに、車利用者向けの沿道店舗がひときわ大きく設けられtおりましたよ。時代は移り変わるものですなあ。ちなみに鉄路はここで途切れますが、今はJRバスが峠を越えて軽井沢とつなぐ役割を果たしているようですね。

 

 

ところで、かつてはホームに溢れた釜めし購入客がいなくなってしまって、おぎのやさん、よくやっていけてんなあと思うわけですが、一般道の路面店以外にも高速道路のSAとか、軽井沢ほか他の駅とかに店舗展開し、全国の百貨店やスーパーなどで駅弁フェア的なイベントも多々あることでしのげているのでしょうかね。ちなみに高崎駅にはやはりお食事処としての店舗「群馬の台所」を構えておりましたなあ。

 

 

こんな話までしておいて「峠の釜めし」を食した…ということになっておりませんのは、前の晩飯で「群馬の台所」を利用し、峠の釜めし・焼おにぎりバーションを食していたからでありまして。ま、峠の釜めし自体は何度も食べておりますしねえ。

 

 

ただ、さすがに晩飯におにぎり一つとはいかず、つまみ三種(ポテサラ、牛すじ煮込み、炙り椎茸)付きのちょい飲みセットに群馬名産・舞茸の天ぷらを加えますともう一杯いっぱいでありましたよ。

 

 

 

とまあ、おぎのやの心配はともかくも横川駅のお話ですが、一番上の駅前の写真、あるいは中ほどのバス停の写真、そのいずれも背景にはそそり立つ岩壁が見えていようかと。これが実にインパクト大で印象的なのですよね。「ザンゲ岩」という場所だそうで。

 

JR高崎線に乗っていますと、群馬に入って左側の車窓にぎざぎざとした稜線をいただく山塊として見えてくるのが上毛三山のひとつ、妙義山ですな。その岩だらけの山塊の裏手、いわゆる裏妙義にあたるところが、横川駅の脇を線路に沿って流れる碓氷川の谷筋に斬れ落ちる際に「ザンゲ岩」はあるのですなあ。そこで横川駅あたりを見下ろすには格好の場所だものですから、かつて行われていた機関車の連結、切り離しなどのようすが一望の下と、山好き以上に撮り鉄の間で夙に知られたスポットであったということでありますよ。

 

 

ちなみにこちらはかみつけの里から遠望した妙義山でして、遠目ながらも稜線のぎざぎざ具合は伝わりましょうかね。直接目にしたときの印象はもそっと強いものと思います。

 

どうも話があっちこっちに行ってますが、横川までやってきたのは駅前をうろうろするためではありませんで、そろそろ目的地へと足を向けることに。実際の線路は駅のホームの外れに終端部が置かれているところながら、その外側に廻ってみれば線路は続くよどこまでも(?)。

 

 

この線路の先に横川までやってきた目的の地であります「碓氷峠鉄道文化むら」があるわけでして、話向きはすっかり鉄道関係へ移ってまいる次第でございます。