先日訪ねた鉄道博物館では、新幹線の各種先頭車両を象った遊具に跨って楽しそうにしている子供たちとはまた別に、なんとはなしに「鉄分」の濃さが感じられる大人たちの姿もたくさん見られたのですなあ。かほどに世の中には鉄道好きな人たちがいるのであるなと再認識したわけですが、ざっくりまとめて鉄道好きとは言ってもおられないほどに、各人の「鉄分」には違いがあるようですな。
よく聞く「乗り鉄」、「撮り鉄」のほかにも「音鉄」、「駅弁鉄」、「スジ鉄(時刻表鉄)」などなどがあり、それぞれの複合型もまたあるようで。まさに十人十色と言えましょうか。とまれ、そんな鉄分の濃い登場人物を配して作られた映画『僕達急行 A列車で行こう』を見たのでありますよ。
森田芳光監督の遺作となった2012年公開の映画ですけれど、ダブル主役の松山ケンイチと瑛太が鉄オタに至る発端を子供の頃に行った交通博物館として話題にしていたりするのは、(交通博物館が2007年閉館なだけに)同時代リアリティーと言えそうですが、映画全体のトーンとしてはそれよりももそっと以前の「昭和」感が随所に横溢している気がしたものです。そも、二人の名字が「こまち」と「こだま」というばかりでなく、次々出てくる登場人物の名前が皆、列車名など関わるもので、よくまあ付けも付けたりと思う一方、これはおよそ登場人物の全てが海や魚にまつわる名前ばかりの『サザエさん』にもつながる、レトロな仕掛けでもあるわけですね。
それに加えて、登場人物たちを取り巻く環境、瑛太扮するコダマは蒲田の町工場の二代目であるということも『三丁目の夕焼け』的でありますし、一方で松山の小町が勤める不動産会社の社長から重役から社員に至るまで、植木等の無責任男を彷彿とさせるところがある。そして、小町とその恋人らしき存在であるあずさ(やっぱり中央線特急ですな)との会話の間などはリアルタイム現代のドラマで展開されるテンポとは明らかに異なる(要するにゆったりゆっくり)でもあるわけで。
『釣りバカ日誌』のハマちゃんなどとも同様に、ああした存在が許された、というかダメダメながらも人間関係の潤滑油としての意義が認められていた時代は確かにありましたしね。個人的に思い返せば、自らが就職したての1980年代頃、まだまだ「しょうがねえなあ…」で済ませる環境はあったろうかと思うところです。そんなあたりを懐かしく思い出したりするにつけ、その後の数十年、どんどんと世知辛くなっていったような。結果にもせよ、趣味が高じたところで取り引きに成功をもたらすてな、それこそ植木等的な世界はあり得ないし、あってはならないとなっていったでしょうから。
規律規範からすればその後の流れは当然であるにせよ、それがやっぱり勤め人のゆとりを奪っていくことにもなったでしょうね。その頃合いを見てこそ、森田監督はこの作品をもってきたのかもしれませんですね。だらだらばかりの過ごし方でもどうよ?とは思うものの、だからといってぎちぎちの過ごしようでは参ってしまう。鉄オタをひとつのサンプルとして、日々の過ごしようといいますか、そのあたりに「?」を提示する普遍性を包含しているのかもしれませんですね。
と、そんな思い巡らしをしたものですから、東京では高架を通る中央線が小淵沢ではすぐそこを通り抜けたりするもので、撮り鉄でもないのにこんな写真を撮ってみたり。もちろん、撮影の場所取りで喧嘩するてなこともなしに、です(笑)。