毎年、冬の時季に「都民芸術フェスティバル」なる催しがありまして、例えばオーケストラ公演などの入場券が通常よりも割安で手に入ったりするのですな。昔々、学生の頃に身銭を切って初めて出かけたオケの演奏会は、この「都民芸術フェスティバル」の恩恵に預かってもいたような。

 

これの対象は何もオーケストラ公演ばかりではなくして、古典芸能の類にも及んでいたとはずいぶん後から知った話。なおかつ、落語公演に関しては抽選で無料入場とは今シーズン初めて知った次第。ビギナーズ・ラックでしょうか、数ある公演のうち、くにたち市民芸術小ホール開催分にご招待となりまして、コロナ以降初めてとなる落語の生口演を聴いてきたのでありますよ。

 

 

仲入り無しのコンパクトなプログラムは、前座噺として桂空治の『寿限無』に続いて林家正蔵による歌舞伎絡みのネタ『四段目』、ストレート松浦のジャグリングの妙技を挟んで、桂米助がお得意の『ラーメン屋』で占めるという内容でありましたよ。

 

『寿限無』と言えば前座噺の定番で、話は名付けの滑稽さに付きてしまうところですけれど、あの長い長い名前を何度も、そしてだんだんと加速度が付いて一気にまくしたてるさまはなかなかにアスレチックであって、言い切った方も聴いている側にも爽快感がありますな。桂空治という人は確かに前座ということですけれど、この噺をよく消化しているのか、こういってはなんですが師匠の当代(11代)文治の語り口よりも聴きやすかったように思いましたですよ。

 

ところで…とやおら思い出話になりますが、小学校三年生のときに引っ越しして転校することになったのですな。新しく通う学校ではMくんという同級生がおりまりして、彼の特技が「寿限無の名前を全部言える」ということで、すごいねと。当時は「じゅげむって何?」という、いたいけな子どもだったですが、その後にその何たるかを知って、果敢に寿限無暗唱を試みたのでありました。

 

所詮はMくんの二番煎じですので、こちらが披露する場所も無かったものの、おかげ様で何十年も後の今になっても、寿限無の名前は全て覚えておりまして、いつでも記憶の引き出しから取り出せるようになっておりますよ。こんな古いことばかり覚えているから、新しい知識が入り込まない。だんだんと記憶領域が狭くなってきておりましょうにね…(笑)。ま、ここで申し上げたいのは昭和の子どもにとっては、「ポケモン言えるかな?」ではなして「寿限無言えるかな?」だったりもしたという。

 

林家正蔵の落語はコロナ前に国立演芸場で聴いて、思いのほか「落語じゃん」と思ったわけですが、これは改名前の林家こぶ平時代にTVタレントのようでもあったからでもありましょう。その後、映画『家族はつらいよ』で見かけたりしましたが、TVなどでの露出度はずいぶん下がったような。その分、落語に精進したということでしょうかね。マクラとして語られた、師匠で父親の林三平が稽古をつけてくれたのは小噺だけ、なんとなれば師匠は落語ができないから…とは、よく考えれば笑えない笑い話でもあるのかもしれません。その「昭和の爆笑王」(のひとり)と言われた三平も、いまでは説明しないと「誰、それ?」なっているようですなあ。

 

で、演目の『四段目』は歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』をモチーフにしたお話でありますね。芝居見物にうつつを抜かしてばかりいる奉公人の定吉に業を煮やした店の主が、「頭を冷やせ」と定吉を蔵に閉じ込めてしまう。寂しく暗い蔵の中で、腹が減って仕方のない定吉が気を紛らすのはやはり芝居の真似事。塩谷判官切腹の場である「四段目」を、蔵の中でひとり芝居していると…といったお話ですけれど、ここに登場する定吉はおそらく、まだまだ年端も行かない子どもなのでしょうなあ。江戸期に元話が作られたというこの噺、その時代には子どもも含め、娯楽の王様は芝居、歌舞伎でもあったということなのでしょう。

 

その後に歌舞伎はだんだんと古典芸能の王座に祭り上げられて、たいそう敷居が高くなってしまいましたが、そうした時代背景をなんとなく咀嚼して、かつ落語として子どもが聴いていたのも、ぎりぎり昭和くらいまでですかねえ。

 

ジャグリングも面白かったですがここではちと措いておくとして、最後に登場した桂米助もまたTVの申し子のような印象がありますけれど、こちらも落語は落語できっちりと。取り上げた新作落語『ラーメン屋』は師匠・桂米丸の師匠である古今亭今輔(昔の人なら「おばあさんの今輔」として思い浮かぶかと)から譲り受けたものかと想像しますが、以前にTV放送か何かで聴いたことがありますので得意の持ちネタにしているのかも。

 

老夫婦が営むラーメン屋に、深夜ふらりと現れてラーメンを黙々とすするひとりの若者。おかわりをした挙句に「金は無いから、交番へ突き出してくれ」と言い出した若者に対して、老夫婦がかける人情。そして、これに応えて人生のやり直しを思う若者…という、いわば現代(その当時)の人情噺ですけれど、これはもう思い切り「昭和」が漂っておりましたなあ。ラーメン屋と言ったって、屋台を引いて歩く夜泣き蕎麦だったりしますしね。今の世の中とはやはり違う時代だったのだなあと(それがいいとか悪いとかではなくして)思ったものでありますよ。

 

それにしても、「昭和」が漂って…と言いましたですが、昔懐かし的な話はままあるも、その雰囲気を立ち昇らせる、会場の空気が「昭和」になるとまで言っては大げさですが、それだけ米助が作り込んだ語りのありようなのかもしれません。何かと折にふれてつぶやいてしまいますが、昭和は遠くなりにけり…ですなあ。