なかなかに広い駿府城公園、外周をお濠が囲んでいますけれどこれは二の丸堀だそうでして、さらにこれを取り巻いて外堀があるのですなあ。でもって、この二の丸堀に囲まれた部分ほ北西隅に天守があったということでありますよ(下の案内図は東南隅の東御門近くのものです)。

 

 

2016年以来発掘調査が続いていて、サイトの見学ができるようになっているのは先日の『ブラタモリ』でも紹介されていた通りでありますね。

 

 

中に入ってとにもかくにも「掘ってるなあ!」という印象が。掘れば掘るほどにいろいろと出てきてしまって…というところでもありましょうか。

 

 

本来的には家康大御所時代の慶長期天守台の発掘ということだったようですけれど、それよりも古い時代の天正期の天守台、さらには今川時代の遺構などもやはりここから出ているのであると。駿府の中心はずうっとこの場所だったのですなあ。このあたりの成果は、発掘現場前に設けられている「発掘情報館きゃっしる」にある解説を見るのが分かりやすいですね。

 

 

 

天正期と慶長期の違いは石垣の積み方で一目瞭然、実際の発掘現場を見てもすぐに分かりますけれど、天正期の方からは「金箔瓦」が出土したことでひと頃多いに話題となりましたですねえ。なにしろ「金箔瓦があるのは豊臣の城の特徴」だそうで、当時の徳川が豊臣の家臣であったと判る証拠でもあると。

 

 

「きゃっしる」はプレハブの仮設で解説も少ないながら、金箔瓦も展示されておりましたですよ。まあ、言われてみれば…くらいな感じですけれどね。

 

 

そんな、豊臣に後塵を拝した時期の建物はぶっ潰しで天下人となった家康は新たに巨大な天守を築くわけですけれど、その大きさたるや。土台にあたる石垣だけでも前方に見えるポールの高さのところまであったということですので。その上にさらに上物がのっかっていたのですものねえ。

 

 

発掘はまだまだ続くのでしょうけれど、駿府城では外周部の坤櫓や巽櫓、東御門といったあたりが再建されていますので、いつの日か、ここに天守が復活することがあるのでしょうかね。まあ、あっても相当に先のことにはなりましょうけれど…。