静岡県の焼津を巡ればどうしたって魚の話になるわけでして、漁協が設けている漁業資料館のような漁業の実際に関する話とはまた別に、研究施設なんつうところもあるのですよね。訪ねたのは静岡県水産技術研究所、その入口脇に展示室「うみしる」というのがあったものですから。

 

 

入口を見る限りでは研究所付属でちと片手間に設えた展示施設?てなふうにも思えるところながら、中は新しくきれいで工夫もある内容だったように思いましたですよ(まあ、コロナの関係で触ったりする機械が止まっていたりするのは、どこにもあることで…)。

 

 

一見して「海の中?」ふうに思えたのはそういう目論見でしょうかね。ともあれ、まずは水技研(水産技術研究所のことですな)の紹介…という以上に自慢(?)する展示から始まるのですな。「いつも時代を引っぱって来ました!」、「こんなにすごいぞ」と。場所柄、当然ですけどね。

 

 

で、「すごいぞ」のひとつには「都道府県の研究所としては初めてニホンウナギの赤ちゃんの採集に成功」したことであると。さすがに養鰻業が盛んな静岡だけあるなと思うところですけれど、そもそもウナギの生態には謎の部分が多くあるようで、だからこそ養殖するにも稚魚の捕獲も難しく、品薄になれば当然にうなぎ屋の敷居が高くなるという循環も生まれるのでありましょう。うなぎの蒲焼きは高い、すなわち関係者は儲けている…てなふうには思いませんけれど、ウナギの謎の解明がほどほど価格でおいしいうなぎに繋がるとすれば、がんばれ!水技研ではないでしょうか。

 

 

さて、「すごいぞ」のふたつめです。昭和4年(1929年)、静岡県水産試験場(水技研の前身ですな)では焼津水産学校と協力して「FJIMARU」印というブランドでビンナガの油づけ缶詰を製造したのであると。要するに今でいう「ツナ缶」ですな。

 

 

ここに「輸出」とありますけれど、展示解説には「ニューヨークで大人気」とあるように当初はもっぱら米国向け輸出商品であったそうな。そんな商品を日本国内に根付かせたのは『シーチキン』というブランド名をツナ缶の代名詞にしたはごろもフーズでもあろうかと。同社を筆頭に国内でツナ缶製造は静岡県が圧倒的なシェアを誇っているそうでありますよ。しかしまあ、魚由来の加工品ながらツナ缶の食文化は逆輸入ものだったのですなあ。

 

そして、「すごいぞ」の三つめ(これで最後)は「空からの漁場探査」ということで。解説にはこのように。

昭和初期には飛行機を使って駿河湾や伊豆諸島周辺の魚の群れを空から見つけ、その位置などを水技研の無線放送やラジオなどで漁師に伝えていました。その結果、とれる魚の量が飛躍的に増えました。

 

と、水技研自慢の(?)取り組みの話だけで長くなってしまいましたですが、研究所HPには「ガラス窓越しに水産・海洋技術研究所加工室の“手火山”などの設備を見学できる「伝統のわざ手火山」などの展示があります」と紹介されていたのですが、コロナ禍にあってか、加工室が望めるらしい大きなガラス窓にはカーテンが引かれていて…。まあ、このときの観覧者は後にも先にも自分ひとりですので、技を見せる甲斐もないということでしょうけれど。

 

ちなみにここで「伝統のわざ手火山」とありますのは(「てかざん」ではなくして「てびやま」と読むようですが)、どうやら鰹節の製造技法であるということで。このあたりを含めて、次回には「うみしる」で紹介されている展示をもそっとさらっておこうと思っておりますよ。