ということで、漁港の目と鼻の先にあります焼津漁業資料館にお邪魔したのでありますよ。駅前で借用したレンタサイクルとツーショットです(笑)。

 

 

焼津は漁業の町ながらこちらの施設は公立ではありませんで、漁協が「創立三十周年を記念して昭和54年8月10日に開館」させたということですな。こう言っては何ですが、1階、2階とある展示スペースのどこも、「もしかして開館当時(つまり昭和54年)のまま…?」とも思えたり。まあ、それもある意味、手作り感、レトロ感があって、なんともそれ「らしさ」を醸しているようでありましたよ。受付に座っていた、少々厳つい風情のがっしりしたおじいさんも、きっと往年は荒波をものともせず、漁船を駆っていたのではなかろうかと。

 

 

 

受付の先、1階の展示ホールはなんとも雑然と(失礼!)モノが折り重なるように展示物が並んでおりました。ところで、明治の頃の焼津、先に駅頭のモニュメントで触れた東海道線が開通したかどうか、と言う頃でしょうか、焼津は実にのんびりしていた海浜風景を呈していたようですなあ。

 

 

絵の登場人物たちはまだまだ丁髷姿ですものねえ。で、展示ホールの壁側に置かれた櫓船は沿岸での操業に使われたという全長6mの櫓船ですけれど、明治の当時から、カツオ漁となりますと全長15m余りの大きな船で出かけていったということです。

 

 

これは操舵室まわりのみの展示ですけれど、その後は木造ながらも54トンと大きな船になっていきますですね。ちなみに舵輪のあるすぐ後ろの小部屋には仮眠室との説明板が付いておりましたですよ。

 

 

この押し入れのようなところが仮眠室とは、船の上では何につけコンパクト収納が求められたにせよ、まさに仮眠しかできませんですね。港で見かけたような大きな船ならば体を伸ばして寝られるスペースもありましょうけれど、これで外洋に長らく遠征していたとなると、きついでしょうなあ。

 

 

と、2階へ上がってみますと、写真パネルの展示がたくさん。現代の方が機械化、大型化で水揚げは増えている一方で、今では見られない光景でしょうけれど、それでもこんなふうに地べたにずらりと魚が並ぶと壮観であったでしょうなあ。

 

 

昭和15年(1940年)6月撮影のようでして、同月の水揚げは「かつお 126,700尾 とんぼ9,650尾」であったとか。「とんぼ」というのは「はて。魚?」と思いましたですが、どうやらビンチョウマグロのことだそうで。

 

 

この図解(?)では「びんなが」と記されているもので、体長は最大で1mほどだそうですから、マグロとはいえ、回転寿司屋やスーパーで時折見かける「マグロ解体ショー」みたいなのに登場するホンマグロ(上の図解の「くろまぐろ」、体長は最大で3mに及ぶと)とは違って、ほぼほぼカツオと同じくらいの大きさのようですね。

 

ところで、かような水揚げ高を誇ればなおのことでしょうけれど、獲った魚は商売用ばかりでなくして自宅の食卓にも当然のぼることになりますな。そうしたときに使われたのが「お菜分けの札」であったとか。小さな木の札に名前が書いてありますな。

 


漁から帰ってくると、おかず用の魚が分けられる。浜に並んだ魚の上にこの札を置いていき、自分の名札のものを家に持ち帰る。通常の漁村では同心棒(心を同じくして泥棒する)と称して、魚をくすねる悪習が多いが、当地ではこうしたお菜分けのためか、同心棒は全くなかったという。

 

焼津には善き習慣が根付いていたと窺えるわけですが、どうも近年になって不埒な所業に及ぶ者が出てしまったのは残念な限り。まあ、そのことを資料館の展示に反映するわけにもいかないでしょうけれど…。