とりあえず静岡市内の見聞は後回しにいたしまして、JR東海道線で静岡駅から西へ3つ先、焼津へと赴いたお話を。
以前から「一度は焼津に行かねば!」と考えていたところでして、ようやっと実現したわけですが、その理由はおいおい詳らかに。一般に焼津と入れればは漁港のイメージでありましょうか。さまざまな魚が扱われますけれど、中でもマグロ、カツオの水揚げが多いようで。駅前のモニュメントからして、これですものねえ。
分けてもカツオは冷凍ものの水揚げでは日本一と言われるほどですけれど、昨年でしたか、カツオの抜き取り事件が浮上して、大いに焼津の株を下げることになってしまいましたなあ。荒海に乗り出して魚を獲ってくる方が悪いわけでもなんでも無いので、「がんばれ!焼津」と言いたいような気にもなるところです。
で、焼津の駅頭にはまたひとつ別のモニュメントが。蒸気機関車の動輪とその隣にはどーもくんのような形をした碑が建てられているのですなあ。「鉄道100年記念」とありますのでこれを祝するものではあるも、それ以上に大きく書かれているのは「感謝」の文字でして。
鉄道の敷設は明治五年に始まり、明治二十二年に至って東海道本線が開通した。当時の焼津の原は一変して今や日本を代表する水産都市に発展したが、我々はこの間、鉄道による恩恵を忘れることはできない。父祖の代まで肩荷で売り捌かれていたに過ぎない水産物は、俄かに京大阪へとその販路が拡大されるようになった、
焼津が漁業、水産加工の町として発展するのにどれほど鉄道が助けになったかという気持ちの表れであるようですね。そも鉄道の敷設は旧来の街道筋に寄り添いつつ、付かず離れずの感じで行われていましたけれど、かつての東海道は府中宿(駿河府中ですな)鞠子宿を経て峠越えに差し掛かり、岡部、藤枝と下ってきますので、焼津を通ってはいなかったわけです。それが、鉄道敷設にあたっては山を迂回することなしにトンネルでぶち抜いてしまいましたので、街道筋から離れた焼津にも駅ができた。やおら交通至便の地となったわけですね。
ともあれ、水産物の流通の担い手はいまやトラックによる陸送に移ったかと思うところですけれど、それはともかくとしてそんな焼津の町を一日、レンタサイクルで走り回ってきましたですよ。南口の駅前にある焼津市観光協会の前で、自転車たちがスタンバっています。
貸出手続きを終えて走りだしてみますと、ひと通りも車の往来も少ないので(苦笑)とっても走りやすい町という印象。とるものも取り敢えず向かった先は焼津漁港でありました。
イメージとして、たくさんの漁船が並んでいる姿を想像しておりましたですが、みな操業に出てしまったのか、大き目の船がぽつんぽつんと停泊している程度。ですが、カツオ漁となれば一本釣りを想起するところながら、この大きな船などはかなり遠くの外洋で操業するものでしょうかね。
ま、閑散とした港のすぐ近くに地元漁協が設けた「焼津漁業資料館」なる施設があるということで、そちらを覗きに。次回はその資料館のお話をいたしたく存じます。