東京にはプロのオーケストラ(取り敢えず日本オーケストラ連盟の正会員、2022年10月現在)が9つありますけれど、多くは年間を通じて定期的に開催する演奏会シリーズを複数パターン走らせていますですね。そんな中、押しなべてですけれど、土日開催のマチネ公演、そして地方巡業的な、東京でいえば多摩地域のホールで開催するような公演はどうも、毎度お馴染みの名曲を並べた演目に相当偏ってもいるような。

 

平日夜に都心で開催であることが多い、いわゆる「定期演奏会」と銘打ったシリーズ(では、勝負曲のような作品が登場するところながら、それに来られない人たち向けに?休日だったり、わりと近くの市のホールだったりで開催される方では、毎度毎度の「運命」だったり、「新世界」だったり、「悲愴」だったり…。常にこれまでオケの演奏に触れてこなかった人たちを開拓する意味でもあろうかと想像するところながら、果たしてそれで奏功しておるのかどうか。もっとも、地方公演は招いた側が「親しみやすい名曲プログラムでお願いします」と言っているのかもしれませんけれど。

 

先日はミューザ川崎で東響の演奏会を聴いてきましたけれど、前半がシェーンベルクとウェーベルン、後半にブルックナーの交響曲第2番と、いささか地味な?プログラムであったせいか、あるいは川崎という、東京でも横浜でもない場所のせいなのか、はたまた東響の人気のほどを物語るのか、判然とはしないながら、何とも客入りにお寂し感が濃厚に漂っていたのが、演奏とは関わりないところでの印象でありましたよ。こういうことなら、取り敢えず名曲を並べておいた方が…となるのかもしれません。

 

ただ一方で、もはや新規開拓対象でもなかろうなあという側からしますと、思いがけないプログラムでやってくれんかなあとも思ったり。かつては東響、ここ数年来は読響の演奏会に通っていますけれど、先にも触れたような、いわゆる「定期演奏会」ではないシリーズの会員としては、そんなふうにも思ったりするところです。

 

と、このほども読響の「土曜マチネーシリーズ」@東京芸術劇場に出かけてきたわけですが、このシリーズも土曜の昼公演とあって結構な名曲ヘビロテがあるのですな。時には「この曲がこのように?!」と言う演奏に出くわす、不意打ちのお楽しみがなくなないはですが、そんな不意打ちの名人?が2019年3月まで常任指揮者であったシルヴァン・カンブルランで、今回の公演はそのカンブルランが久しぶりに登場すると、楽しみにしていたのでありますよ。

 

 

曲目がまた、ビゼーの『アルルの女』第一組曲&第二組曲は有名どころが盛り込まれるも全て通して演奏されるのはさほど多くはないですし、その後にはジョリヴェのトランペット協奏曲第2番、そしてフロラン・シュミットのバレエ音楽『サロメの悲劇』とは、なかなかに痺れるプログラムではなかろうかと。

 

4種類のミュートを使い分けるジョリヴェのトランペット協奏曲は20世紀半ばの音楽ですけれど、そも演奏家の技量を披露するために造りだされた「協奏曲」という古典的なネーミングがなされているものの、ジャズの世界でマイルス・デイヴィスが出てくるあたりの時代背景を感じたりしますですね。コントラバス1本のほかは一切の弦楽器を排したアンサンブルとの共演もやはりジャズ・コンボを思い出すところでもあるような。

 

また、フロラン・シュミットの音楽もおよそ耳にする機会の無いものでしたけれど、聴いていてドビュッシーとストラヴィンスキーをつなぐような立ち位置にある曲でもあろうかと感じたものです。バレエ音楽としてバレエ・リュスが取り上げたものの、サロメを題材にした音楽作品はリヒャルト・シュトラウスが少し先に発表していましたですね。シュトラウスはオスカー・ワイルドが創造したサロメ像を描いているのに対して、シュミットはワイルドに寄らない台本であったことが、当時の世紀末の雰囲気を濃厚に纏わせているかどうかという点で、興行的な成否の分かれ目になったのかも。単純に音楽として聴く限りにおいては、もそっと演奏されてもいい音楽だろうなとは思いましたですよ。

 

とまあ、かようなレア・プログラムであったわけですが、演奏会としてはかなり席が埋まった状況でしたので、オケが(場合によっては地方都市開催での証明元が?)どんなプログラムで臨むのかは悩ましいところでもあろうかと改めて。名曲を並べて新規顧客への啓蒙路線をとるのか、レアものによる話題性で集客を図るのか、さてはて…。