恐縮ながら、JR小海線・清里駅の周辺に点在するシンボルサイン(ま、街灯の飾りなんですけどね)をもそっと追いかけておこうかと。

 

ここで「恐縮ながら」と言ったりとか、もそっと追いかけておきたいような気になったりするのは、ひとえに個人的な思いからでありまして。かつて「超」のつく人気観光地だったところが今や閑散としてしまっている…とは、何も清里に限った話ではありませんですが、大学のゼミ合宿で初めて訪れたときの清里の喧騒が懐かしく思い出され、今は昔…という、経験を通じた思いがあるからでしょうかね。特に清里への熱い思いがあるというわけではないのですけれど。

 

とまれ、その頃(記憶違いかもしれませんが、大瀧詠一の『A LONG VACATION』がどえらく売れていた年の夏であったかと)の清里駅前は若い女性というか、女の子たちというかで溢れ返っていたものでありますよ。こんなシンボルサインはむしろ昔を偲ぶよすがなのではと思ってしまいます。

 

 

このシンボルサインは今でも「ソフトクリーム」が清里の名物、また避暑地としての風物詩でもあることを伝えておりますが、含意としては明らかに賑わった過去に思いを馳せておりますね。なにしろ駅前観光案内所でもらったリーフレットの解説には、こんなふうにありますし。

1970 年代から1980年代にかけて起こった「清里ブーム」。当時は軽井沢や上高地にも比較されるほどでした。「an・an」「non-no」に代表される女性誌が頻繁に取り上げたことにより、「アンノン族」といわれる女性の旅行者が急増、まるで雑誌から抜け出してきたような服装が特徴的でした。

そうしたブームはまさに一過性であったわけですが、だからといって清里の酪農までが消えてしまうことはありませんので、ソフトクリームは今でも健在。これを支えるのがジャージー牛ですな。濃厚なミルクで知られる種ということで。

 

 

とまあ、酪農が花開いた清里ですけれど、その開墾にあたり大きな助っ人となったのがアメリカ製のトラクターであったのですなあ。ポール・ラッシュの仲立ちになって輸入されたものでしょうか。

 

 

ジョン・ディアとはトラクターを製造する会社の名前(創業者の名前でもあり)ですが、トラクターそのものを名前で呼んで、苦労を共にする仲間のように見ていたのであろうかとも。そういえば、実物(と思しきもの)が「萌木の村」に置いてありましたな。ただの飾りではなかったわけで。

 

 

ところで、今の清里にあって清泉寮と並ぶ観光スポットとなったのが「萌木の村」でありましょう。食べる、見る、買う、遊ぶ、体験する…てな要素を持った複合施設で、大きな道沿いのロケーションと駐車場が多いことによる利便性あってこそ人が立ち寄るのであろうかと。車で清里に来る人たちが増えて、「萌木の村」には立ち寄るも、そのまま道なりに野辺山や松原湖へと抜けてしまう、清里は途中通過地点になったのかも。それだけに駅前は閑散とし…。

 

 

「萌木の村」では近頃(といっても1990年にスタートしたらしいです)、夏場に「清里フィールドバレエ」という野外公演が行われているとか。こうしたことも清里の復興(?)に寄与しているかもですが、どうにも全てが70年代、80年代のイメージを今でも引きずった「清里らしさ」のような思いがあるのかもしれませんですねえ。難しいところです。

 

 

一方、素通りされてしまうと言いました清里駅のあたり。ピクニックバスの旧車両ともども、かつて小海線を走ったSLが静態保存されていますけれど、これを再び走らせるとか、駅周辺の賑わいには何かしらの材料が必要ではありましょうねえ。これはこれでまた難しいこととは想像されますが。

 

ともあれ、喧騒のひとときはもはや遥か昔となって、廃墟化した街並みにも少しずつリノベされた新しいものが出来つつもあるような。バブリーさとはひと味違う清里のイメージが創造されていくのかもしれませんですね。そんな変遷を、八ヶ岳の主峰・赤岳が変わらぬ姿で温かく見守っているようでもありますよ。