自転車圏内とあって武蔵野美術大学美術館にはちょくちょく、そして立川からモノレールですいっと出かけられる多摩美術大学美術館にも何度か出かけているわけですけれど、考えてみれば女子美には行ったことがなかったなあと。だいたい美術館があるのかどうか、さらにはキャンパスはいったいどこにあるのか、そんなことを検索してみますと、「お!」と思う展覧会が開催中であると。JR横浜線の古淵駅からバス…とはいささか遠い感を抱いたものの、これを機会と出かけていったのでありましたよ。

 

 

開催中であったは「柚木沙弥郎の100年ー創造の軌跡ー」展でして、Eテレ『日曜美術館』のアートシーンでも紹介されたばかりですが、そも柚木沙弥郎という染色家を知ったのも以前放送された『日曜美術館』であったような。1922年生まれですので今年が生誕100年で、周年回顧の展覧会とはなるところながら、ご本人がご存命中に「生誕100展」が開催されるというのは、そうそうある話ではないですよねえ。

 

ともあれ、染色といった領域におよそ関心の無かった者が先の番組で紹介された作品に接するに及び、「ポップだなあ」と思ったのはそもそも始まりでありまして、JR横浜線で町田のひとつお隣、古淵駅からバスで約20分という女子美アートミュージアムにまでやってきてしまったという次第です。

 

 

染色という仕事は、布地を染めることであって、染めた布地は基本的に着物に仕立てられて…となりますですね。日本の、いわゆる和服(とりわけ女性向けの)はあちらこちらの美術館で展示されたりすることは見かけますので、いわゆる美術工芸品として鑑賞対象となったりしているのは間違いない。さりながら、個人的にはこうした着物を愛でるという意識を欠いておったものですから、翻って染色という工芸にもあまり目を向けることが無かったのありますよ。

 

にもかかわらず、沙弥郎作品に食い付いたのはやはりそのデザイン性の故でもあろうかと。さらに、染めた布地が着物のような形に加工される前の長いまま、天井から吊り下げられたある状態というのも、加工技術は脇へおいておいて、染色のデザイン一点張りで勝負されているところに、なんといいますか、清々しさというか、潔さのようなものまで感じてしまったのですなあ。

 

その柚木沙弥郎という人は柳宗悦による民藝運動に近いところにいましたので、本来的には「用の美」として使われることを想定しているのだとは思いますが、染めた布そのもの、それ単体が目を奪うことになるとは、ご本人にとっては想定内なんでしょうか、どうでしょうか。

 

ところで、その柚木沙弥郎生誕100年回顧展がなぜ(これほど不便な?)女子美アートミュージアムで開催されるのであるか。年明けの2023年1月から東京・駒場の日本民藝館で内容を変えた回顧展が開かれはするようですけれど、それに先立って何故ここ?と思いましたら、1950年に専任講師となって以来、長らく女子美で教鞭をとったのみならず、学長を務めてもいたのだそうな。退職したのは1991年となりますと、40年を超える長いお付き合い。そりゃ、回顧展もやるわけですね。

 

ということで、教育者として後進の指導にもあたった柚木沙弥郎ですけれど、展示の合間には教え子の人たちからコメントが寄せられていたり。それによると、とにかく沙弥郎先生曰く「まずやってごらんなさい」と。そして、学生の作品にはなんにつけてもダメ出しするのでなくして、ここが面白い、あそこが面白いと言って周っていたようで。

 

そも柚木自身が染色に入り込むきっかけは、やはり民藝運動と関わり深い芹沢銈介の「型染カレンダー」にでくわしたことであったとか。やがて芹沢に弟子入りした柚木は静岡県の由井にある正雪紺屋に住み込んで染織の基礎を学んだそうですけれど、師匠・芹沢は「出来損ないの中に染が顔を出している」てなことを言っていたそうなのですね。沙弥郎先生の学生指導に繋がる言葉にも思えるところです。

 

また、柚木が女子美と関わりを持つのは柳宗悦の甥にあたる柳悦孝の口利きがあったようで。そして、その柳悦孝にはこんな言葉があるそうで。「人は一度教わると、それしかできなくなるので教えることはしない」と。これもまた、沙弥郎先生は学生対応上、参考にした結果が教え子たちのコメントに繋がっていくことだったのかもしれませんですねえ。なんだか校風が偲ばれるような。直接的に沙弥郎先生と関わりがあったかどうかは分かりませんけれど、歌手のイルカが女子美の卒業生というのも何とは無し雰囲気が伝わるような気になってしまうところでもありましょうかね。

 

とまあ、女子美で教育者でもあった柚木沙弥郎が自身の作品制作の方ではどうかとなりますが、染色作品に限らずポスターやら絵本やらを含めてですが、その作品はどれを見てもやはりポップな印象なわけでして、その源泉の一端を窺えるのがこちらでしょうか。

 

 

まるでおもちゃ箱をひっくり返したような感じでもある柚木のアトリエから一部の品々を持ってきて配置したのでしょうかね。これは相当に整然と並べられた方だと思われます。館内の一室でビデオ上映されていた柚木へのインタビュー映像でも、そのアトリエに置かれた様々な物を愛で慈しむようすが見られましたですよ。チョコレートかガムでもくるんであったのか、銀紙まで取っておいて「きれいでしょ!」と。こうした、一見何の変哲もないところに発想の源泉がある、たしかミロなども同様でしたなあ。

 

少々お話をした学芸員の方曰く「遠いところをどうも」と。「多摩からですので、まだそれでも…」とは応えたものの、沙弥郎先生自身、映像の中で女子美のロケーションを「遠い」と言ってまして、正直に言いますと「遠い」わけですが、それでもわざわざ訪ねた甲斐はあったように思ったものでありますよ。