先週(9/30放送分)のEテレ『新・にっぽんの芸能』は四代目中村梅玉の人間国宝認定を祝したものでしたですね。その芸の一端として紹介されたのが歌舞伎舞踊の「須磨の写絵」で、養父の六代目中村歌右衛門にとても関わりある演目と聞けば「であるか」とは思うものの、これに「らしさ」が尽きると言えるのかどうか…は、歌舞伎素人には判然としないところではありましたよ。
ともあれ「須磨の写絵」は、都落ちした在原行平が須磨の浦の海女の姉妹、松風と村雨二人を相手にちゃらちゃらちゃらと…という話のようで(何とも身も蓋もない言い方になってますが)、鄙びた土地に流されているというのにこの行平、なんとものんきなものであるなあと。さすがにかの在原業平の兄貴なだけのことはあると、妙なところに感心したりしまったり。
ただ、あくまでこれは平安朝の貴族の優美さといいますか、それを舞踊で見せるために作られたものであって、行平・業平にしても本当のところはどこまで『須磨の写絵』ふうであったのか、『伊勢物語』ふうであったのかは想像するしかないわけですな。そんな折、「実はまろたちも苦労が絶えん毎日であることよ」てなことの理解につながる『平安貴族サバイバル』なんつう一冊を読んでいたのでありました。
著者曰く「はじめに」の中で「…意外にも平安時代は、戦後社会を生きる現在の日本の日常とよく似ているのかもしれない」と。もちろん、平安時代のように歴然として身分格差があるわけではないながら、そうはいっても隠然たる格差社会となっている状況下、地位上昇に汲々とせざるを得ないところがあるのは同じということで。
格差間移動(もちろん上昇方向に、ですが)を果たすためのひとつの作戦としては、昔も今も学問というのが該当するようですね。教養といった方が適切なのかもしれませんが、和歌に通じているのはもちろんとして、たとえ女性であっても(とは当時のことです)実は漢籍の素養も必要不可欠であったとか。平安貴族というと、先ほど在原行平・業平のように男性を思い浮かべ、その出世争いをついつい思い浮かべてしまうところながら、貴族の家柄の女性たちもまた父親や兄弟、一族郎党の期待を一身に背負って宮仕えに臨んだようで。なんとなれば、その美貌、そしてその教養が最高権威者たる天皇の目にとまって、皇子を生むことにでもなれば…ということなのですなあ。
ですので、娘の教育には当然に力が入ることになり、入内を果たしてもそこで終わらず、取り巻きにブレーンを送り込む。後宮ですので、送り込まれるのは当然に女性の御付きになるわけで、中宮定子には清少納言がおり、中宮彰子には紫式部が付いたのはそんな時代のことだったのでありましょう。歴史的にはこの勝負、その後に藤原道長の家系が栄華を極めることになりますので、彰子派の勝ち。それを演出したといいますか、道長らのごり押しもまたサバイバル術ということにはなりましょうけれど。
てなことで、「平安朝の実際はこんなふうだったのである」とさまざまに紹介されているわけですけれど、時代が大きく異なって何事につけ今現在のものさしで事の当否を考えるのは適当では無いながら、それにしても「うむむ」と。そういう時代であったと理解するのはいいとして「平安宮廷物語は、現在の格差社会を生き抜くヒントに満ちている」(あとがきより)とは、果たして…。
まあ、好み、興味ということになってしまうところもありましょうけれど、世界に冠たる(?)『源氏物語』にどうにも入り込めない。それはやっぱり、その当時の貴族たちのありように「うむむ」感をぬぐうことができないからでしょうなあ…と、これは極めて個人的な印象です。古典世界に分け入るには、好悪を棚上げする気概も必要なのだなあと、改めて考えたような次第でありましたよ。