先週の土曜(9/24)に東京・池袋の東京芸術劇場で読響の演奏会を聴き、軽く一杯飲み交わして「じゃあ、また来月!」と別れて来た友人から、帰宅してみるとメールが届いていたのですなあ。「白金フィルの演奏会の案内が届いていた。二週連続になるけど行く?」と。
白金フィルというのは以前の(正確には前の前の)職場におられた方(一緒に仕事をしたことがないので同僚とまでは言えないような…)が創立時から参加しているアマチュア・オケでして、明治学院大学の(オケの)卒業生を母体にしているのですな。お付き合いというにはすでに疎遠ではありますけれど、創立以来、何度も足を運んでいるのはアマ・オケにしては聴き映えする演奏だものですから。今回のプログラムにもサン=サーンスの交響曲第3番という、どっかからオルガン奏者を連れてこなくてはならない演目が入っていたりして、相変わらず気合の入った活動を続けておるようで。
まあ、今回もアマ・オケらしい、年に一度の演奏会に完全燃焼!という演奏であったわけですけれど、今回で31回目であったかというところに感慨が。創立演奏会を聴きに出かけたのは30年以上も前のことであったのであるかと、しみじみしてしまいましたですよ。
今ではすっかり音楽を「聴く」人になってしまっておりますけれど、かつて学生の頃は年に何回かではあるもステージにのっかって演奏する側でもあったのだったなと、これまたしみじみ。ただ、演奏会というのはその演奏を披露するためのもの、つまりは聴いてくれる人のためのものながら、アマチュアの場合はやってて楽しいが先に立つのですよね。ですが、それがいけないとかそういうことではありませんで、やってる側の意識、記憶には演奏会そのものはもちろん、そこに至るプロセスのあれこれもたくさん刻み込まれていく。いろんな経験があって、それが(時には苦しくも)楽しいということになる。ステージにあがるのは(こういってはなんですが)少々中毒性もあるような気がしておりますよ(笑)。
ただいかに中毒性があろうとも、学生時代が終わって日々仕事と向き合うようになりますと、練習に時間を割くのがなかなかに難しくなりますね。個人的には楽器をやっていた期間よりも、全く手にしなくなった時間の方が遥かに長くなってしまっておりますので、この白金フィルの30年を超える活動にも、そこに参加するひとりひとりにはさまざまな犠牲を払ったりもしてきたことであろうと思ったりしたわけです。
まあ、そんなこんなの思い巡らしをしている中で、そう言えば…とは今さらながら、完全退職の状態にある者としてはもはや時間の工面はいくらでもできるのであったなと。だからといって学生時代に勤しんだ吹奏楽の世界にまた分け入ってとはあまり考えてはおりませんですが、もっぱら聴く側に回っていた音楽との接し方で、何かしら演奏する側を指向するのもありなのだなあと思ったり。古来、「六十の手習い」とはよく言ったものです。
辞書に曰く「六十の手習い」とは晩学の例えとありまして、ともすると年寄の冷や水になりかねないところでもあるわけで、全く新しいことに挑むのもそれはそれでですけれど、自らのこれまでを顧みて、音楽に限らずもっぱら受け手の側にあったところを発信する側とでもいいますか、そっちの方向を指向するなら何がいいかなとは考えていいかもしれませんですね。
実のところ、いったい何ができようかなどという思いはあるものの、それでも得手も不得手も長年積み重ねてきた中で、何も無いとは言い切れない。そういえば自らを評して「大器晩成である」てな思いを抱き続けていたこともありましたが、そんなことさえ長らく忘れたまま、時期としてはどっぷり晩成期に入っているはずなのに晩「成」どころか、晩「始」にも至っていないようなことに。とまれ、そんなことが改めて頭に浮かぶ機会を、白金フィルの演奏会を通じて得たものなのでありました。彫刻家・平櫛田中の「「六十、七十はなたれ小僧、男盛りは百から百から」という言葉を縁としておくといたしましょう。