先日、メンデルスゾーンのスコットランド交響曲を聴いたから…ということでもないのですけれど、このところはもっぱら日本の歴史がらみの小説を読んでいたので、ちと目先を変えてと手にしたのが中公新書の一冊、『物語スコットランドの歴史』なのでありました。
帯にも記載のある「スコットランドの独立」、その賛否を問う住民投票が行われたのは2014年でしたか。結果としては「否」と出たわけですけれど、それまでの経緯をほとんど把握していなかった者からすれば、住民投票を実施するところまで切羽詰まった感がスコットランドにはあったのか…とも思ったものなのですね。ひとつの島の中にあってイングランドと陸続きであって…というようなことを考えますと、日本で言えば東北地方が独立するかどうかてな話が思い浮かんだりしたものでして。
英国(と言ってしまいますが)は連合王国ですので、イングランドとスコットランドの関係は日本での関東地方と東北地方の関係よりも独立的なものであろうかと思うわけですが、どうも英国の東北地方てな印象もあろうかと思うところです。本書でもって改めてスコットランドの歴史を追ってみるも、イングランド史の裏側をなぞっている感覚なきにしもあらずのような。
歴史(の授業)的には、1603年(日本では江戸幕府のできた年なのですなあ)イングランドでエリザベス1世が跡継ぎ無しに亡くなって、血筋をたどった結果として時のスコットランド王ジェームズ6世がイングランド王ジェームズ1世として即位することになる。このジェームズはイングランド王ヘンリー7世の孫にあたるメアリ・スチュアート(スコットランド女王メアリ)の息子だったわけで。この部分だけを見ると、どう見たってスコットランドの笑いが止まらないように思えますですね。イングランドを併呑して、してやってり的に。
さりながら欧州史を分かりにくくする点にキリスト教の関係がありますけれど、ここでもやはり話をややこしくする理由はその辺にもあったような。単純に言いますと、スチュアート朝の王様はカトリック指向が強かったようです。なんとなれば、イングランドの均衡を保つのに大陸のカトリック国フランスと関係を深めてきた過去があり、婚姻関係も手伝ってカトリックに馴染んで育てられた人たちだったりするものですから。一方で、スコットランドはかなりプロテスタント、カルヴァン派が浸透しており、またイングランドでは表向きヘンリー8世以降イングランド国教会を国の宗教としているも、どちらもそれぞれに信仰の違う勢力が付いたり離れたりを繰り返しているような状況だったようで。
そんな中、どうにもスコットランド王室出の王様たちは座りが悪く、清教徒革命やら名誉革命やらに曝されるのは歴史が告げているとおりですけれど、その渦中でスコットランド側がイニシアティブをとるにはどうにも至らず、だんだんとイングランド主体の同君連合ながら一地方化していってしまったような。それでも独立性に関する意識はくすぶり続けており、それが今でも尾を引いているわけです。
そんなことを振り返りつつ思うのは、民族の独自性を「国」の独立と考える点でありましょうか。日本人は比較的宗教に寛容(というか無関心というか)ですから、それによって国が分かたれるということにあまりピンときませんけれど、仮に宗教を抜きにしても関東人と東北人、関西人、九州人は明らかに違うのだという意識にはあまりならないような気がするのですね。もちろんお国自慢とか土地土地の言葉、風習などなどに違いはあるものの、それをもって民族の違い、さらには国として独立せねばならないという意識にはピンとこないところがあるわけです。
たからといって「スコットランドはなぜそこまで?」と考えても、それはそれで詮無い話なのではありましょう。ただ、解決を「国」という形に求めるというのは実はもう時代錯誤なのかもしれません。国がある程度の大きさあってこそ保てることから「大きさ」(必ずしも国土の広さというのでなくして、経済規模だとか)が必要になりますけれど、それ自体、かつての帝国主義もそうですが、資本主義的な経済のありように根差しているもののように思えるわけで。
ですから、よくよく考えてみればそれぞれにいろいろな考えのある人たちを大括りにして、国としてどうだとやるよりも、その場その場の生活圏でより良く暮らすにはてなことをわりと小さな単位で考えていくことが必要なのではと考えている今日この頃なのでありますよ。
話はスコットランド史からすっかり離れてしまってますが、ただいささかの関わりとして本書でスコットランド生まれの詩人エドウィン・ミュアを紹介しているところに触れておこうかと。
ミュアは社会主義者ではあるが、しかしそれが理想とするものは、みんなが労働者になり中央政府の指示に従うような集産形社会主義ではない。社会資本が個々人に行き渡り、個々人がそれぞれの自由意志のもとで(資本家に搾取されることなく)健全に労働に励むような―そしてかつてはスコットランドの平和な農村がそうであったような―理想がそこにある。
物事を考えるときに、ついつい考えてしまうスケールメリットは確かにいい面もありましょうけれど、それを追求するあまりに歪みを生ずることもないとはいえない。もそっと身近なところから積み上げる方向で物事を見ることがあってもいいように思えてならない…と、最後の最後までスコットランドの話はどこへやらになってしまいましたなあ(笑)。
