先日は山梨の小淵沢で都合4泊5日の滞在でしたけれど、冷涼な中での読書三昧でありましたよ。それだけに日々の食事のための買い出しに出る以外、あまり出かけることもなかったわけながら、一度だけ小海線に乗って清里に行ってきたのですね。

 

 

夏休み期間に入っていますのでそれなりに観光客がいて、なぜだかロシア人と思しき家族連れのグループに行きも帰りも出くわしたり(ちなみに行きと帰りで別の面々です)。ちなみにグループ内に成人男性が全く見受けられないのはウクライナに行かされているからか…と、いささか不謹慎な思いも浮かんだりしたですが、そうであればほかの家族がのんびり高原遊びに出かける状況でもないでしょうけどね。

 

そんなことはともかくとして、ここで清里を訪ねたのは清泉寮に行くのでも、萌木の村に行くのでもなくして、天然クーラーの涼しさにどっぷりつかろうかと考えた次第でありまして。ま、そこへの行き返り、特に車道歩きの部分はなかなかにしんどい日差しの中なのですけれど。

 

 

以前、清里では湧水が噴き出している「吐龍の滝」を訪ねましたですが、今回は大門川三滝の中のひとつ、「宮詞の滝」というところへ。駅前から外れて、谷筋へと下っていくことしばし、いかにも山道に入るという分岐点に到達します。

 

 

木々が覆いかぶさって日陰を作ってくれていることにホッとしつつも、保湿性が高いだけに苔むした道を進むことになりますので、蚊の襲来が気になるところ。ま、事前に予期して長袖着用という怠り無さではありましたが。

 

 

進むにつれて山深さが増してきたところに、近所の小学生たちが作ったのでしょうか、とりどりの看板が立てられている箇所に到達しますと、何やらTVドラマ『トリック』で山間の胡散臭い村に導かれるのを思い出したりしてしまいましたですよ。

 

 

さりながら事前のネット検索では「子供連れにはきびしい」てな記載を見かけたですが、さすがに近所の子供たちには差支えないのでしょう、なんとなればこの先にクサリ場が登場するのでありまして。

 

 

分かりづらいとは思いますが、中央の岩だらけの斜面を備え付けのクサリとロープを頼りに上り下りしなくては滝にたどり着けないのですな。どうやら滝の間近にまで行くために無理やり作られたルートのようですね。

 

 

で、たどり着いた「宮詞の滝」(先に見た案内板には「宮司の滝」とも)は、観瀑台と思しきところから眺めるばかりで滝のそばには近寄れませんが、いやあ、まさに思い描いたとおりの天然クーラー、涼しかったですなあ。

 

 

と、「?」と思いましたのは、予めネット上の画像で見ていたのと滝の姿が違うんでないかい?…ということなのですね。ですので、先ほど見た「クサリ場あります」の看板に出ていた写真を振り返ってみるとしましょう。

 

 

こちらによりますと、手前中央の大岩に遮られた水はその奥にプール状の淵を作って、大岩の左右から流れ落ちている様子が窺えます。一方で、現在の滝はといえば、大岩の奥に淵が作られないまま、その岩の向かって右側だけから流れ落ちているようになってますな。

 

最初は単に水量が少ないからか?…とも思いましたが、どうやらそうではなさそうな。大岩の右手で水流を遮っていた部分の岩が無くなっておりますね。結果、淵に水が溜まることはなくなり、あふれ出るようになっていた左側の流れは生じないことになってしまったものと想像した次第です。

 

それにしても何故?といって、極端に水量が増えたときがあったかして、右側でせき止めていた岩を押し流してしまったのでありましょうかね。何せ、自然の力は人知の及ばぬところでもありますし。そも滝が出来たのも自然のなせる業でありますし、いかにそれが人の目から見て「いい形」と思えようとも、場合によって自然がその形を変じてしまうことはあるわけですよね。

 

考えてみれば滝ひとつの話ではなくして、例えば現時点でも東北での大雨の影響で自然災害が起こっていたりもする。地球温暖化なども同様かと思いますが、これまで自然をねじ伏せて人間の都合のいいように操ってきたと思っていたところが、どっこい手痛いしっぺ返しを食わされることに立ち至っているような。姿の変わった(らしい)宮詞の滝をまのあたりにしつつ、そんなもの思いもしたものなのでありました。