まだ桜の咲いている頃に(といって、東京よりは少々遅れてですが)山梨県北杜市の桜めぐりをした中で、谷戸城址の桜も眺めに行きましたけれど、その城址公園のすぐ手前に北杜市考古資料館という施設があったのですな。次々と桜の名所を訪ねる中では立ち寄らずじまいとなったものの、実は気になっておったわけでして。建物が新しそうでもあり、中の展示にも些か期待を寄せておったような次第。そこで、日を改めて出向いてみたのでありました。

 

 

真新しいばかりか、人の出入りがほとんどないので、もしかして開館前であるのか?とも思ってしまうところながら、さにあらず。こう言ってはなんですが、おかげで静かにじっくりと見ることができましたですよ。

八ヶ岳・甲斐駒ヶ岳・茅ヶ岳などさまざまな山地に広がる広大な北杜市には旧石器時代以降多くの遺跡が残されました。華麗な装飾を施す土器文化が花開いた縄文時代、貴重な品々が墓に副葬された弥生・古墳時代、天皇への献上馬を飼育した官牧が営まれた平安時代、数多くの城跡・館跡・砦跡が築かれた鎌倉~戦国時代、それぞれの時代に北杜市は、重要な歴史の舞台となりました。(同館リーフレットより)

考古学というとひたすらに古い古い時代、つまりは先史時代が対象であるかと思うところですが、各時代にわたって出土品はあるわけで、扱うのは実に長い長い歴史なのですなあ。この「考古」資料館の展示も(コンパクトながら)それらをカバーしているわけですが、まずは何と言っても縄文時代ですな。

 

北杜市を含む諏訪湖の南から甲府盆地にかけて、たくさんの縄文遺跡が発見されているあたり、かつて『ブラタモリ』でも紹介されていたやに思いますが、この近辺では尖石遺跡井戸尻遺跡が知られておりますね。というわけで、まず縄文に注目するとして、気になるのはやはり土器と土偶ということに。

 

 

 

 

館内には意匠も造形も見事な土器がたあんと展示されておりましたよ。で、縄文土器で広く知られるものに「火焔型土器」がありますけれど、信州・甲斐のこのあたりに特徴的なのは水煙文の土器なのですな。方や「火」の模様に対し、方や「水煙」の文様という。

 

 

解説に曰く「水煙が渦を巻いて立ちのぼるかのような躍動感」とありますが、はっきり言って実用の観点からは必要なさそうな装飾の極み、実は豊かな文化の心を持った縄文の人たちが想像されるではありませんでしょうか。そしてもう一つ、この地域に特徴的なものとして挙げられるのがこちらですな。

 

 

「顔面把手付」として把手の部分に人面が施されていること自体が特徴的なのですけれど、これはさらに胴の部分にも人面が顔を覗かせておりますね。その顔を覗かせている部分をよく見れば、人体の胴体から下に脚が二本あるように見え、その間から現れる顔と言えば…ということで「出産土器」とも呼ばれているそうな。縄文の人たちが子孫繁栄を願ったであろうことは、土偶の解釈からも知られるところですけれど、これはそんな土偶と土器との合わせ技的なる製作物なのかもしれません。

 

ところで、この考古資料館からほど近く、ここもまた八ヶ岳の裾野の果てであろうと思しきなだらかな坂道を下って歩くこと15分ほどのところに金生遺跡(きんせいいせき)という縄文後期~晩期の遺跡があるということで、立ち寄ってみることに。こんな石組みの遺構や住居跡が見つかったそうでありますよ。

 

 

ちと考古資料館の展示の話からは寄り道となりますが、金生遺跡に絡むあたりに触れてまいるといたします。