つい先日に読響演奏会を聴いた折、指揮者の小林研一郎のことで「お人柄ですなあ」てなことを申しましたですが、その時はもっぱら聴衆へのサービス精神とかそっち方面のことでありました。さりながら、そのお人柄はオーケストラの奏者に向けてもまた然りでしょうか。曲の始まりにはまずもってオケの面々にしっかと一礼してから振り始めるようすをみても、そんなふうに思われるところです。それでいて、リハの時には鬼のようだ…ということも想像できないわけで…。
かつて指揮者はオケに君臨する存在であったような気がしますけれど、時代が変わったということでもありましょうね。音楽を作り上げるパートナーシップという関係が定着してきているのでしょう。様変わりしたものだなと感慨深く思ったりするのは、折しもONTOMO MOOKの一冊、『オーケストラ興亡記 19~21世紀の楽団と指揮者をめぐる物語』を読んでいたりしたものですから。
音楽の友社が発行する雑誌『音楽の友』や『レコード芸術』に掲載された国内外のオーケストラに関する、比較的近年の記事をまとめた一冊で、ほぼほぼ現在のようすも窺い知ることができる記事もあるものの、やはり目が行ってしまうのはかつてのカリスマ指揮者がいた時代のことでしょうかね。
年代的には指揮者界の超カリスマ、フルトヴェングラーやトスカニーニの時代には及ばないものの、クラシック音楽のレコードを大量に(聴き始めは知らない曲ばかりでしたので、それこそ貪るように)聴いていたのが1970年代半ばから80年代の半ばであったのですな。その頃は、指揮者とオケがもはや一体であるような組み合わせ感がすっかり出来上がっていたように思うところです。
カラヤン=ベルリン・フィルをはじめ、ベーム=ウィーン・フィル、バーンスタイン=ニューヨーク・フィル、オーマンディ=フィラデルフィア管、セル=クリーブランド管、ショルティ=シカゴ響、小沢=ボストン響などなど、挙げ出したら切りが無いほとでありますなあ。それらの全てが君臨する存在であったとも言い切れないでしょうけれど、その頃に「パワハラ」などという言葉があったら、レッドカードを突き付けられた指揮者は数多いたことでありましょう。
指揮者の仕事として、素晴らしい演奏を引き出して聴衆を魅了することがある一方で、いわゆるオーケストラ・ビルダーと言われる仕事、オケを育て鍛え上げる(つまりは上手な楽器にする)ことがあるわけですが、その点を考えれば野球などスポーツ・チームの監督やコーチの役割に似たところがありますですね。
そうした場面には、スポ根ものの漫画ではありませけんけれど、「黙って俺の言うことを聴いていれば、勝てる(オケに擬えれば最上の演奏ができる)」という指導者が付きもの(?)ですし、もしかすると今でも(いささかなりをひそめつつも)存在するのではなかろうかと。それが「パラハラ」などという言葉の無い時代にはなおのことだったでしょうなあ。
とまあ、すっかりパワハラばかりの話になってしまいましたですが、欧米、特に欧州のオケには「確固たる」歴史と伝統があるように思い込んでしまうところながら、その実、さまざまな紆余曲折を経ていることを知るのでありましたよ。今後もCDやあるいはLPでもって録音の古い演奏を聴くこともありましょう(実際、当時の指揮者=オケではもはや生で聴くことはできませんので)から、そうしたときに記事にあったあれこれの紹介を思い出したりするのでしょうなあ。