唐突ながら…「幕末」という言葉を目にしますと、歴史の流れの中での「ひと時代」感があるような気がしますですなあ。一方で「世紀末」という言葉も、取り分け19世紀末を差して、これまた「ひと時代」感があるような。これらはいずれも「幕末」、「世紀末」というだけで、時代の空気まで(もちろん想像するだけにはなりますが)感じられるような気がするくらい言葉との結び付きがあるわけですが、両者の決定的な違いは当時を生きた人々に言葉どおりの感覚があったのかどうかですなあ。
「世紀末」の方暦の変わり目ですので、カウントダウン的に差し迫るようすが当時に人たちにも感じられたであろうところが、「幕末」の方ははっきり言って後付けの言葉ですものねえ。1868年には明治という(いろいろな意味で)新しい世の中になっていくことを、時間感覚的に当時の人が意識していたはずもないでしょうから。
ただ、立場の違いによって濃淡に差こそあれ、漠然と「幕府はもうだめかねえ」的な受け止め方はあったかもしれませんですね。ですが授業の「日本史」では政治や外交の流れを追って、幕末を捉えているばかりでもあろうかと。漠とした社会不安といいますか、そうしたあたりにまでは目配りがあまりないようで。ま、大塩平八郎の乱が扱われるくらいでありましょうか。
とまあ、そんな話に立ち至りましたのも、岩波新書の『幕末社会』なる一冊を手にとったところから。この時期の社会、とりわけ民衆、一般大衆はどういう空気の中にいたのかに思いを馳せることになった次第です。
戦国の世が遠のくにつれ、幕藩体制による社会制度が整備されていくにつれ、身分の固着化も進んだようで。「生かさず殺さず」とも言われた百姓という「身分」においてさえ、株を持たねば農家にもなれない状況であったのですなあ。ですので、百姓株が無い限り、分家もできない…となりますと、農家の次男・三男などはいわゆる「穀つぶし」という存在にしかなりえないことに。
時間も体力も持て余すわけですから、いざこざも起きようというものですが、村の若いのが不始末をしでかすと村の責任(経費が掛かれば村の持ち出し)になるとなれば、いっそのこと無宿者(人別帳からの抹消ですな)にでもなってもらった方がありがたいわけです。当の本人たちにしても、村にいて厄介者扱いされているよりも外へ自ら飛び出した方が何かしら世界が開ける気もしたことでしょう(何らの保証もありませんが)。
本書では幕末という時代の入り口を天保年代においていますけれど、「天保」と聞いて思い浮かぶのは「天保水滸伝」ですなあ。笹川繁蔵の一派と飯岡助五郎の一味が大利根河原で大立ち回り、まさに博徒・侠客の時代とも映るわけですが、幕末といってペリー来航、安政の大獄、桜田門外の変から戊辰戦争に至る大きな流れがある一方で、博徒・侠客の目だった動きというのも決して歴史と関わりないことではなかったということになりますね。
権威が下り坂となってきた幕府には全国を覆いつくして安寧を保つだけの余裕は失われ(同様に各地の大名もなんだかんだと借金に追われたりして)、地域地域では自助努力が必要にもなったいた。そんなところで博徒・侠客の親分さんたちは悪事にも手を染める傍ら、「弱気を扶け強きを挫く」存在として頼りにもなったようですし。
本来は表舞台に立つ人たちではないところながら、世情が不穏になって物騒な世の中にあって背に腹は代えられないのか、あるいは根っから悪い者たちばかりでもなかったかもしれませんが、自らの縄張りを越えて世のため人のために働いたりする人たちも出てくるのですよね。一橋慶喜の上洛に付き従った新門辰五郎(表向き、火消しの親分ですが)や西郷隆盛との会見に出向く山岡鉄舟を駿府まで道案内した清水次郎長とか。
この辰五郎や次郎長の話は、たまたまの人脈の繋がりで出てきたことながらも、時代を大きくみればそんなふうなことが起こり得る情勢でもあったということでもあったのですなあ。つくづく、教科書に太字で出てくるキーワード(上に挙げたペリー来航から戊辰戦争などはまさに)を追うだけで歴史を知ったつもりになっては理解を誤るものであるなと考えたものでありますよ。(蛇足ながら本書は博徒・侠客の話ばかりの本ではありませんので、一応…)。