ちょいと前に読んだポール・オースターの小説『サンセット・パーク』の中で、『我等の生涯の最良の年』がプロパガンダ映画という言われようもありましたので映画の方も見てみたわけですけれど、たまたま今回、『ミニヴァー夫人』という1942年(要するに第二次大戦の最中ですな)に制作された映画と見てみますと、これをプロパガンダと言わずして何と言う、そんな作品だったのですなあ。監督はどちらの作品も、「あの」ウィリアム・ワイラーなのでありましたよ。

 

 

アカデミー賞の監督賞受賞3回というだけでも、ウィリアム・ワイラーは映画史に名を残す監督であろうとは思うところながら、一方でその名は知らずともロマンティック・コメディの名作『ローマの休日』とか超大作歴史劇の『ベン・ハー』とか、作品だけは知っているという方も多いことでしょうなあ。

 

とはいえこの『ミニヴァー夫人』、誰が見てもあっけらかんとプロパガンダと分かる映画ながら、アカデミー作品賞、監督賞、そして主演女優賞、助演女優賞、さらに脚色賞まで受賞してしまう評価であったとは、そういうご時勢だったのでもありましょうか。それとも、ドラマとしての出来が良かったと考えたらいいのでしょうかね…。

 

ちなみにWikipediaには作品評として、「アメリカ人を主要キャストに置き、丁寧で流れるようなシナリオの巧さとワイラー監督の演出の好調ぶりを裏付けるような作品になっている」と紹介されつつ、「出典は?」などのコメントが付いていないので、ある程度固まった評価なのかもしれません。

 

その一方で、やはりWikiには「この作品のメッセージとしては、ヨーロッパ戦線初期のドイツへの敵愾心と同盟国のイギリスへのアメリカ側の支援が込められている」とある以上に、はっきりと「いわゆる「戦意高揚映画」、「プロパガンダ映画」と呼ばれる類の作品であるとも。見る側の意識の問題かもしれませんですが、先の作品評にある「シナリオの巧みさ」とか「演出の好調ぶり」といったあたりに目が向く以前に、戦時に臨んで健気で気丈な女性像が描かれていることにばかり気を取られてしまうわけで。

 

ドイツの空襲にさらされるロンドン(舞台は英国なのですな)で、大好きなお買い物も控え、防空壕で子供たちを守り、撃墜された後に行方をくらましたドイツ兵に遭遇するやうまくあしらって難を逃れる、戦時下の婦人の鑑のような姿とともに、ひたすらにドイツ悪し、ドイツ憎し(その当時の状況から、それを否定するものではありませんが)と描いていくのは、声高なスローガンなどよりも受け入れやすかろうという点でも、ある種、プロパガンダのお手本なのかもしれませんですねえ。

 

ところで、先にも触れた『ローマの休日』や『ベン・ハー』など、戦後の作品でワイラー映画を見てきた者にとっては、なんだってこれほどまでに分かりやすいプロパガンダ映画を、ウィリアム・ワイラーは作ったのかいね…と思わないではないところですけれど、ワイラー自身、ドイツ生まれのユダヤ系ドイツ人であったことと関わり無しとはいえないような。想像でしかありませんけれどね。

 

まあ、『ミニヴァー夫人』を撮ってそれが評価されたということをもって少々感じた悩ましさを、一事が万事のように持ち続けることはありませんですが、何はともあれ、ふいに予備知識無く見て、驚かされた映画であったことは事実でありますよ。