2022年シーズン初めての音楽公演に前後して、やはりこのシーズン初めてとなる美術館、展覧会へと出かけてきたのでありました。出向いた先は近隣の府中市美術館、自転車で乗り込んだ次第です。
開催中であった企画展は「春の江戸絵画まつり ふつうの系譜 「奇想」があるなら「ふつう」もあります―京の絵画と敦賀コレクション」という長いタイトルですが、つづめて言えば「ふつうの系譜」展と。
予て話題を呼んだ『奇想の系譜』なる一冊があり、これにあやかった展覧会も開催されたりして、「奇想」の画家たちがもてはやされたりしたわけですが、そうしたところとは一線を画す、いわば「ふつう」の絵を描いた画家たちの作品を紹介する展覧会ということでして。目の付け所がいいのう…と思いましたのは、個人的にはさほど奇想の画家として名前の挙がった絵師たちを有難がる風潮に「どうよ…」とまた、へそ曲がり精神を抱いていたからでもありましょうか。
ともあれ、「奇想」と言えば見る者が目を瞠るような何かしらがあるものと想像しますですが、これに対して「ふつう」と言われたときにこの「ふつう」をどう捉えるか、実は難しいところでもあろうかと。この展覧会では「ふつう」の美術=「きれいで心を穏やかにしてくれる作品」としているようですな。
まずは曾我蕭白や岩佐又兵衛らの「奇想」作品をチラ見させておいて、これとは違う味わいを感じてもらおうとの目論見でありましたよ。導入の解説文には、こんなふうにありました。
(蕭白や又兵衛描くところの奇想の作品は)美しいものや穏やかな調和を壊してみせることで、見る者の心を揺さぶります。つまりは「意外性」こそ彼らの信条と言えそうですが、一方、美術の世界には、いわば「マニュアル化」できる美術のかたちもあります。それが「ふつう」の美術なのかもしれません。
こうなりますと思い浮かぶのは、いわゆる「派」の形成と関わりあるような気がしてきますですね。「土佐派」とか「狩野派」とか。彼らは「派」として一本筋の通ったところを守り通すことで、一定の「美」を提供し続けたわけですけれど、連綿と続く中ではひとりひとりの絵師の個性が大きく展開されることはなかったために、埋没し置き忘れられがちなところにもなろうかと。これに対して、先にも触れた蕭白や又兵衛、そして伊藤若冲などは個性の発露こそ絵師の本懐とも考えていたのかもしれません。絵師、画工が画家、芸術家へと転身する、ひとつのありようだったのかも。
ということで、展示は土佐派とその後継者、狩野派、円山四条派とその後継者といったふうに続いていきますけれど、先に「奇想」に対して「うむむ」感を表明しておきながら、「ふつう」を見ていくうちには「普段遣い」といった、民藝にも通じる言葉が思い浮かんだりしたものです。
一定程度に美しい絵が描かれた掛け軸、屏風などは日常生活(といっても、いわゆる上流階級の人々の住まいにおいてでしょうけれど)に馴染むものであって、いたずらに尖ったものではない(主張が強すぎない)ものでもあろうかと。
もっとも、それだから奇想よりも格下とまでは言えないだろうなあと思いましたのは、ここに展示された作品群の中で何より目を奪われたのが、狩野派のものであったからかも。ただ、狩野派の括りに数多の絵師がいる中で目を止めたのが狩野探幽となれば、ちと別格でもあろうかと。作品は「朝暘鷹図」です。
狩野派には「粉本」と呼ばれる、図像を模写するためのタネ本がありましたので、鷹を描くにあたっても粉本が活用され、同じ図柄の鷹は狩野派の絵師たちによっていくつも描かれているのかもしれません。それでもここで見た探幽の鷹は実に凛として立派な姿なのですよね。軸仕様になっていますので、どこかの邸宅の床の間に飾られてこその画となりましょうけれど、これが掛かっていたならばその空間の空気はさぞや引き締まることであろうと思い巡らしたものです。
また、改めての話にはなりますが、日本画を描く際の絵具が岩絵の具であって、これが文字通りに岩を細かく砕いたもの、例えば辰砂から朱が、孔雀石から緑青が、藍銅鉱から群青が作られるわけですが、この水溶性のないものを使って、土佐派の画のように鮮やかでかつ滑らかな色を出してみせるのは、なまなかではないなとも。
この展覧会では、とりあえず「奇想」との対比で使われた「ふつう」ですけれど、「ふつう」と言って済ませてよいこととそうでないことがありそうだと、今さらながらに思いつつ見て回ったものでありましたよ。