先ごろ山梨で出かけた旅の友として、講談社現代新書を一冊持ち歩いておりました。旅そのものと直接的な関係がありはしませんですが、『神社とは何か』という、なかなかに壮大な?タイトルの一冊でありましたよ。
ここで扱われているのは「日本の神(あるいは神々)とは何か」ということではありませんで、「神社」という建物というか、その機能というか出自というか、そんなようなあたりの方ですな。
そも八百万の神と言われるように(といっては、あたかも神様の方の話のようですが)、そこには自然崇拝、自然信仰が色濃く反映しておりますですね。でもって、巨岩、大岩をそうした神々の憑代として考えたりしたようで。「こんなに大きな岩ができたとは…」と自然のなせる業、つまりは神様の行いですかね、ヒトはそれに驚きの目を向けたことにもよるのでありましょう。
これがいわゆる「磐座祭祀」でありまして、本書には熊野速玉大社の摂社神倉神社の御神体・ゴトビキ岩などが紹介されたおりましたが、そこまでの巨岩ではなくとも、「ああ、そういうことか」と小淵沢のアパートのすぐお隣、大滝神社で見かけた大岩を思い出したりしたものです。社殿に向かって左手の山の斜面に大きな岩が祀られておりまして。
岩の上には石碑が乗っかっておりまして、未だかつて見たことのない(ですので、当然読めない)漢字が刻まれていたのですな。
「蠶影太神」と書いて「コカゲオオカミ」と読むらしいとは後から調べた結果として。でも、この漢字はネット上でちゃんと表示されておりましょうかね…。難しいひと文字には「虫」が入ってまして、どうやら「蚕」の元の字であるとか。そこで蚕の神様を祀っているのかとも思えば、蚕の神は瀬織津姫とつながり、それならば水の神にもなるようで、それならそれで湧水ざばざばの大滝神社近くにあるのも宜なるかなと。
と、すっかり話は脇へそれましたですが、かような「磐座祭祀」が非常に古い形として残っている一方、その後の神様の祀り方として「禁足地祭祀」があるというのですな。歴史的には6世紀末から7世紀初めくらいに代わってきたということで。
「磐座祭祀」の方は目の前にある自然の驚異のようなものに対して畏敬を感じたところから出たものであろう反面、「禁足地祭祀」の方は「ここには神様が宿るのだから入ってはいけんよ」という場所を人為的に作り出すという点で、いかにも歴史的には後なのだろうなあと思うところです。そして、それらが「神社」という形として現れたものとして、前者の代表が出雲大社であり、後者の代表が伊勢神宮であると。
いずれ劣らぬ大きな?神様を祀っているわけですけれど、このことが神社の形として伊勢より出雲の方が「すごい」のだと言っているのではなくして、今に伝わる社のありようの話でありますよ。左右対称で神様の居場所を建物の中央に置く伊勢神宮は正に神様の居場所を定めて、建物としてはあれこれを削ぎ落して神様のためにこそあるてな印象ながら、出雲大社の方は左右非対称で昔々の豪族の屋形を意識した造りになっているそうな。神様の居場所も奥まった隅に、大事なものをしまい込むように置かれているようでありますね。
出雲大社の古さは関連地域の発掘調査から、弥生時代の祭祀に使われたであろう青銅製の銅戈(どうか)や翡翠勾玉が発見されていることからも分かるのだとか。
本書の内容としてはこののち神社建築の様式などにも触れて、このあたりのことに疎いものにとっては「ほうほう」てなところでありましたけれど、結局のところ「神社とは何か」と。著者が「おわりに」の小見出しにした文言を引けば、「自然界の生命力を神として信仰し迎え祭る場」ということになりそうです。結局のところ「なあんだ、やっぱりそうか」と思わなくもないですが、神社という以上にスパッとした神様理解には「そう考えれば、受け止めやすいのだよね」ということになっていようかと。人それぞれに神様や神社に対する考え方はあろうかと思うところではありますでしょうけれど。