東京・福生のベースサイドストリートに来てランチにベーグルを食した後、そのベーグル店のお隣に「福生アメリカンハウス」なるものが。土・日・祝のみ内覧化ということしたので、覗いてみることにいたしました。

 

 

「米軍ハウス」と言い換えればいささか印象が変わるかもしれませんですが、ハウス内の解説によりますとどういう施設であるか、想像しやすくなろうかと思うところです。

米軍ハウスは基地のある街で、第二次世界大戦直後に集中して建設された、配偶者のある進駐軍・在日米軍軍人のための一戸建て住宅で「アメリカンハウス」「外人ハウス」「米軍住宅」などと呼ばれています。
1958年に建てられて米軍ハウスは、当時2,000棟に及びました。

こうした建設ラッシュの時代背景としては、朝鮮戦争が終わったもののベトナム戦争への介入が想定されていたのかも…などと考えてしまうところです。軒を連ねて建ち並ぶ当時のようすはこちらの写真で。

 

 

将校は基地内に住まっていたようですし、単身者用はまた別となればどれほどの米兵がいたことか。現在は基本的に基地内に居住している(まあ、規模もいささか縮小されておりましょうけれど)そうですが、完全に街自体がアメリカ化していたのではないでしょうかね。

 

ところで、そんな米軍ハウスは「現在はでは150棟程に棟数は減っている」ということですが、先に沿道で見かけたアメリカンなお店の中には、いわゆる居抜きの形で米軍ハウスを利用しているケースもあるとか。そして、一棟をそのままに「福生武蔵野商店街振興組合が運営するコミュニティ施設」とし、時に内覧も可としているのが現在の「福生アメリカンハウス」という次第のようです。建物の外観はこんな具合です。

 

 

いわゆる庭付き一戸建て。多くの庶民が長屋ふうの住宅に住んでいた日本人感覚からすれば、必要十分な気もしますですが、アメリカから見て日本の住宅を「うさぎ小屋」と呼ぶのは、ここから始まったようでもありますなあ。ともあれ、中に入ってみます。

 

 

 

 

 

なにやらいかにもなイメージのアメリカン・テイスト(ちとビーチ・ボーイズなども思い出させる?)だったりするように思うところながら、それはともかく間取りとしましては2LDKと言えましょうか(3LDKタイプもあったとか)。公営住宅も長屋ふうであったりもした日本人の感覚からすれば、これで「うさぎ小屋」と受け止めるとは?とも。彼我の違いは著しいですなあ。

 

ともあれ、米軍が図面を書いて、施工は日本の大工が行ったという米軍ハウスは、その後の日本の住宅づくりのモデルにもなったかもしれませんですね。なにしろ戦後しばらく、というか長らく、豊かな国アメリカは多くの日本人にとって憧れの的だったわけですし。それだけにこの住宅に注がれる視線にも特別なものがあったのかも。館内解説にはこのような紹介がありました。

1970年頃から米兵がハウスを手放すとともに、日本人の音楽、美術、演劇等あらゆるジャンルの人々が好んで住むようになり、そこから多くの有名ミュージシャンや小説家、画家等を輩出するという現象が起きました。

ミュージシャンとしては、忌野清志郎、桑田佳祐、福山雅治などの名前が挙がっておりましたなあ。先にも触れましたように現在は150棟ほどに減ったという米軍ハウスは居抜きの形でアメリカンなお店に利用されたりもしている一方、「昨今では、平屋家屋で同じ間取りの平成に建てられた平成ハウスなども」あるという。アメリカへの憧れ、未だ衰えじというところでしょうか。

 

ベースサイドストリート沿いを外れても、あたりには平屋ばかりが多いのは米軍ハウスの名残なのかも。実際、何の変哲もない住宅地と思えるそこここに、「ああ、あれもこれも米軍ハウス」と思しき住宅がその姿を留めている。それが「昔、ここに基地があったのだなあ」と偲ばせるよすがとなったりする日が来るでありましょうかね…。