東京・福生市をぶらりとしながらその水事情に触れたりもしたわけですが、多摩川の河岸段丘上にある地域、つまりは高台にあたる部分を玉川上水は流れていたのであるなと今さらながらに思い当たるのですなあ。江戸市中まで水を引くにあたっては微妙な高低差を活かした滞らない流れが必要ながら、この流路を高台に通すのは避けられないことでもあったのでありましょう。

 

ただただ開削した距離が長いというだけでない玉川上水の工事の大変さを、改めて思い巡らすところでありますが、次に足を向けた場所はまさにその名残りともいうべきところのようで。

 

 

と、歩くみちすがらで唐突に気付いてみれば、地面に道案内のプレートが埋まっていたのですなあ。これに従っていくと、「玉川上水散策コース」にのって散歩ができるということでもありましょうね。今回はこの既存コースをなぞってはおりませんですが、次の目的地はプレートにもある「みずくらいど公園」というところでありますよ。

 

 

埋め込みプレートにありましたとおり、JR青梅線の踏切を渡ると「← みずくらいど公園」と案内看板が出ています。が、「みずくらいど」って?と思いますですよね。真っ先に頭に思い浮かんだのは映画『俺たちに明日はない』の主人公ボニー&クライドだったりしたですなあ、全く関係無いとは知りつつも…。

 

 

でもって公園に到着してみますと、「みずくらいど」とは「水喰土」だったと、漢字表記で知ることとなるのでありますよ。もちろん近くには解説板がありました。

土地の古老は、昔からこの公園付近の地名を「みずくらいど」と呼んできました。その由来は玉が上水の開削の際、この付近で水が水中に吸い込まれた失敗したという故事から地名が発生したのだそうです。

考えてみれば、水を通すのにはどこでも掘ればいいというわけではなくして、粘土層のように水の沁み込まないところに流路を作らねばなりませんですね。かといって、岩盤の上では掘削がどえらく大変でしょうし。まあ、そのあたりは調査しながら進めたのでしょうけれど、ここへ来てせっかく掘ったところに水を流すと、どんどんと水を喰らってしまう土地であったとは、相当な無駄骨感があったことでしょう。何せお城の空堀くらいに掘ってありましたから。

 

 

高低差ばかりではなく、その長さも結構なものでして、これを打ち捨てて別のルートに改めざるを得なかったのでしょうなあ。

 

この遺構は工事が失敗し、新しい堀を北側に掘り直したため当初計画した堀跡が残されたものです。…この玉川上水開削工事跡は、近世前期の大規模な土木工事の遺構として、歴史的、学術的に大変貴重です。て、それ

 

結果的には現在のルートの方が掘削する距離が短いのでないの…と思ったりもするところながら、そこにはやはり別の難しさがあったりもしたのかもしれませんですね。ともあれ現在の玉川上水は、公園の北側斜面の向こうにしっかりと水を湛えて流れておりましたですよ。玉川兄弟始め工事関係者の方々の尽力に、今さらながら思いを馳せたものでありました。