ところで福生をぶらぶらしに出かけたということで、よもや「もしかして?」と想像された方がおいでになるとは思いませんですが、万一そういう方がおいでになったとしたら、「やっぱり立ち寄ってしまいました…」と白状せねばなりませんなあ。出向いた先は、こちらの熊川神社でありまして。
鳥居の前から中を覗くだけでは「?!」でもありましょうけれど、この神社の拝殿の前、両脇に「分梅神社」という提灯が下がってて…となれば、ああ、映画『ちはやふる』に出て来た分梅神社のロケが福生市で行われたのであったかと思い出される方もいましょうか(いませんね。反語表現です。笑)。
創建は不詳のようですけれど、この拝殿の裏側に位置する本殿はその棟札から慶長二年(1597年)の建築と見られているとか。なかなかに古い建物なのですなあ。
ともすると「はりぼてであるか…」と思ってしまうところながら、それは外囲いの建物でありまして、肝心なのはその中にあるのがご本殿。なんでも「一間社流見世棚造」という簡素ながら、それだけに由緒の感じさせるもののようです。同様の造りとしては、鶴岡八幡宮にある丸山稲荷社(1500年造営)や伏見稲荷大社にある藤尾社、北野天満宮にある伴氏社などがあるようですね。
ところで、「古くは礼拝大明神と呼ばれた熊川村の鎮守」(福生市HP)という熊川神社は、一社で七福神巡りが完結するようになっておるのですなあ。富士講で霊峰登拝したくとも年齢的、身体的、性別的(かつては女人禁制だったのですよね)に叶わないあ人たち向けに富士塚が作られたような背景でしょうか、実際に七福神を巡って歩くことが難しい人たちはおそらくこのお社のうちで七福神巡りをしたことでありましょう。
ついでですので、毘沙門天、恵比寿神、大黒天、弁財天、寿老人、布袋尊、福禄寿と、久しぶりに七福神を巡ってみましたですが、それぞれご覧のように妙に新しげですので、江戸庶民がこれ(の先代、先々代?)を巡ったかどうか…。
ちなみにこの神社、鳥居の脇には「杜の美術館」なる施設がありましたが、コロナ禍故の?休館中。熊川神社の宝物でも展示されていたのでしょうか。いささか残念ではありましたですよ。