ポール・オースターの短編『オーギー・レンのクリスマス・ストーリー』を読んだところで、
このタイトルでネット検索しますと、映画『スモーク』が出てきたりする。
さては映画化作品であるか?と想像するところでして、早速に見てみたのでありますよ。
それにしても、『オーギー・レンのクリスマス・ストーリー』が『スモーク』(原題もSMOKE)に。
確かに小説にはオーギー・レンの煙草屋が出てはきましたですが、登場人物たちそれぞれが
よくまあ、煙草を吸っていること。紙巻であるか、葉巻であるかはともかく、
誰もがまずは煙草に火を付けて話始めるてなふうであったという。
ここで、登場人物たちが、と言いましたけれど、原作にはオーギーと作家のポール、
そして回想シーンに盗みを働く青年とその祖母が出てくるくらい。
短編(というより掌編)らしいコンパクトさなわけですが、映画ではのっけにブルックリンの街角、
オ-ギーのシガー・ショップから始まってなるほどと思うものの、
小説には影も形もない登場人物たちが次々と現れるのでありまして。
小説では、オーギーとポールは単に店主と客というにすぎず、
ポールの側ではそうでもないのにオーギーは常連客、つまりは俺とお前の仲のように勝手に思い込んでいる、
そんなことが感じられるのですなあ。
さりながら、映画でのオーギーとポールは明らかに店の常連としてのやりとりがありますし、
それ以上に結構濃密な付き合いがあるようなのですね。確かに、二人を中心に展開する物語を紡ぐには
両者を結び付け、それぞれに背景を語ることも必要になったのでしょう。
なるほど、映画の最後になって、小説で語られるクリスマス・ストーリーが出てくるのですが、
それ以前の1時間半ほどは全くもって映画オリジナルのストーリーとは、
よくまあ、膨らせませたものだと感じ入ったのでありますよ。
ただ、気付いてみれば映画の脚本自体、原作者たるポール・オースターが担当しているのですけれど、
自らの短編の素材を改めて長編化するにあたって、状況設定の改変など、ここまで施せるものであるかと
思ったりも。むしろ、別人の方が手を付けやすいようにも思ったものです。
主人公ふたりの関係そのものに手を加えても、原作の印象を損ねないのは作者自らならではかもですが。
ブルックリンの街角には、いろいろな意味で生活に、人生に難儀する人たちが通りすぎていきますけれど、
そうした人々の姿をいくつか、オムニバス的に、そうしてそれぞれを交差させつつ描いて、
味わい深い一作に仕上がっておりますな。ふい打ちで見た映画ながら、思わぬ収穫といったところです。
最後の最後、エンド・ロール直前に至って、オーギーがポールに語った回想たる「クリスマス・ストーリー」が
淡いモノトーンの色調の映像で流れてくる。これが無くても映画は完結するとは思うものの、
この映像が最後に流れることで、また一段と味わい深くなるのですなあ。
どうやら日本で販売されているブルーレイやDVDのジャケットには、
この最後に出てくる映像の中から、オーギーと老女のクローズアップが使われてますけれど、
宣伝として、これは得策なのでしょうかね…。原作を読んだ人ばかりが見るわけでないとすれば、
いささかネタばらしと言えなくもありませんし、逆に原作とは異なるオーギーとポールの関係を窺わせる点で
上のポスターのような写真の方が適当なのではなかろうかと思ったり。
ハーヴェイ・カイテル、ウィリアム・ハート、フォレスト・ウィテカー、そしてちょい役ながらアシュレー・ジャッド、
いささかの派手さもありませんですが、じんわりとくるいい映画に仕上がっておりましたですよ。
短編小説と長編映画、うまいこと両立できているものであるなと思った次第です。