「あいやぁ、ドラマの初回を録画し忘れた…」なんつうことが以前はあったわけですが、
昨今は「TVer」なるもので後追いが可能になっておるのですなあ。
かつてTV番組は、放送時間を逃してはもはや見ることも叶わず…というものであったところ、
家庭用VTR機が発売されるに及んで(映画『陽はまた昇る』に描かれた時代ですね)、
個人的な録画が可能になったのが大きな技術革新かとも思ったですが、
今では録画の必要さえないようで。
こうなって来ますと、TV番組として放送されるリアルタイム性をどう考えるか…てなことに
思い巡らしが湧き起ったりもするところですけれど、ここではそれに深入りせずに措くとして、
その「TVer」とやらでうっかり(?)フジTVのドラマ『ミステリと言う勿れ』を(後追いで)見て、
第2話(1/17放送分)の中のひと言がずっとひっかかっているものですから、そちらのお話を。
バスジャックに巻き込まれた主人公の久能整(菅田将暉)が乗っ取り犯に対して、
こんなことを言うのですよね。正確ではありませんが、だいたいこんなふう。
法律には「人を殺してはいけない」とはどこにも書いてありません。
これに聞いて一同(犯人側もバスジャックの人質たちも)、驚きを隠せないわけなのですが、
確かに法律に「殺人をしてはいけん」とは書かれていないのですよね。
さりながら、「人を殺してはいけない」とは書かれていないものの、もしも人を殺したら罰則がある。
このこと自体、主人公・久能は言及しておりますけれど、これって
直接的には書かれていない(それは事実)にしても、罰則があるということからして
「やってはダメ」と言っているに等しいのではありますまいか。
刑法の条文の書かれようは、殺人に限らず、他の犯罪についても同様であろうかと。
ですので、実は(言外に?)ダメなんですよと言っているに等しいことを
「やっていけない」と法律に無いとして、しかも戦争を引き合いに出したりもする話の展開には
ともすると、なにがしかの条件が整えば、あるいは見つからなければ(見つかったら刑罰はあるとして)
行為自体を制限するものではない、というようなミスリードを生むのではなかろうかと思ってしまったもので。
何かしら行動が制限される場合、「どうして?」とその制限事由を気に掛けるわけですが、
こと殺人となりますと、倫理的にも道義的にも当然との思いがある一方で、
当然に法律にも書かれていようと思う、というか思いたいというか。
そんな「当然」と受け止めていること自体が抑止力にもなるところながら、
実は法律フリーの状況なのですよといったことを、不用意に?言い放ってしまうのにひっかかったのですな。
まあ、ミスリードにつながるとして、これをそのまんまに受け止めて行動を起こす人がいるはずもなかろう、
とまあ、そんなふうにも思いたいところですが、今のご時勢、どうにも自分の側の都合でもって
どんなに他人を巻き込んでもお構いなし的な行為(当然にして犯罪に当たることが多いわけですが)が
あちこちで見受けられたりもするもので、話のもっていき方には思案が必要なのではと思えた次第でして。
TV放送、これも冒頭で触れたようにリアルタイムで視聴する以外にも接する機会が格段に増えた昨今は特に
より多くの人の目に触れることになりますので、いろいろなことに目配りせねばならないようになっていようかと。
昔の映画やドラマを見ていると、「こりゃ、セクハラだろう」、「いやはや、パラハラだあね」と見えるシーンが
山のように出てきますけれど、このこと自体は時代の違いがあるわけですけれど、
今の時代には今の時代なりに思い巡らしておかなければならない点が、これまた山のようにあろうかと。
話として、主人公のひと言に犯人側が口あんぐり…となるのはドラマとして面白いシーンですけれど、
その中で伝えることが(いかに面白いことに気が付いてしまったと思えることであっても)
どういう受け止められ方をするかを熟考しておかねばならんのではなかろうかと思うところです。
たかがドラマ…と云う勿れ、ですなあ。