ところでこのほど訪ねた山梨大学大村智記念学術館ですが、

展示コーナーを見て回りながら、「ああ、このモダンな建物は歴史を踏まえたものだったのだね」と。

思い返せば学術館の入り前にはかような碑が建てられてあったのでありました。

 

 

実は近くで見てもなんと書いてあるのかよく分からないのでして、

「古いもの?」と思えば、天保十四年(1844年)建立の碑であるそうな。

題字には「重新徽典館碑」とありまして、要するにこの場所には「徽典館」なるものが建っていたわけです。

当然にして「徽典館とは?」となるところでして、解説パネルにはこんな説明がありましたですよ。

徳川幕府が江戸の昌平黌を開設し、…その分校に駿府の明新館と甲府の徽典館がある。…創建当初は一般に「甲府学問所」と呼ばれた。これは寛政七年(1795年)十二月のことである。

昌平黌は昌平坂学問所でしょうから、日本史の授業でも出てきて知っておりますが、その分校が

駿府と甲府とにあったのでしたか。将軍家としては位置づけ的に駿府に分校を置くのはわかるとして、

甲府にも?と思うところです。当時の甲府は幕府直轄領だったことも背景にありましょうかね。

 

 

ともあれ、この寛政七年に始まる「徽典館こそ山梨大学の基」ということですので、

先に「国立だか私立だか分からないような…」とは申しましたが、

安直に駅弁大学のひとつてなふうに考えると見誤ることになりそうでありますよ。

(このことは他の大学にも言えるところがありそうです)

 

とまあ、かように歴史のある山梨大学だったわけですけれど、大学院総合研究部附属施設として

ワイン科学研究センターなる「果実酒を専門に研究するわが国唯一の研究機関」があるのは

まさにワイン県・山梨らしい独自性のひとつかと思うところですが、同様の付属施設としてもうひとつ、

クリスタル科学研究センターなるものもあるのですなあ。

 

ウィキペディアの山梨県の項目には「石英(水晶)の採掘地であったことから、

研磨宝飾を中心とした宝石加工産業が発達している」と紹介がありますように、

山梨と水晶もまた古くから関わりあるところなのですね。

学術館の裏側には「水晶庫」という建物が隣接しておりました。

 

 

庫内には、これも水晶、あれも水晶、さまざまな形で産出された水晶が展示されるとともに、

その加工品の紹介もなされておりました。と、ここでクリスタル科学研究センターに立ち返ってみますと、

「人工水晶の育成に関する研究等は特筆に値」するものという点でありましょうか。

現在にも続く「人工水晶の量産体制の礎」は山梨大学での研究成果であるということです。

 

 

こんな業績の紹介を見てきますと、大学もまた偏差値一辺倒の見方をしていては判断を誤るといいますか、

どうしたって東大、京大はじめ旧帝大ばかりが何かとにかくすごいところと思ってしまいがちながら、

学ぶ側にも個性尊重を言うのであれば、学ぶ場所たる学校の個性もまた見極める必要があるのだなと

改めた考えたものなのでありました。