ということで秩父方面に行ってきたわけですけれど、そもそもの発端は
かねて一度は三峰神社に行ってみたいと考えていた向きから
「車ででかけるけど」と話が持ち上がり、文字通り「乗った」という次第なのでありまして。
東京から、というより東京西部の多摩のあたりから秩父へと車で向かうには
埼玉県入間市に始まる一般国道の299号をひたすら進んでいくのが常道でして、
かつて出かけた際にもこの道を通って、途中「あしがくぼの氷柱」などに立ち寄って行ったりしたものです。
さりながら今回は、同じ道の単純往復ではどうも…という考えがあったようで、
往路には寄居あたりまで北上し、その後荒川沿いに奥へ奥へと向かうルート選択だったのですな。
そこで、そんなルートをとるにあたって行きがけの駄賃となりましたのは、まずはこちらでありました。
ただの古い民家の体ですが、軒庇の柱には「実篤記念新しき村美術館」とあります。
作家・武者小路実篤が「人間が人間らしく生きるための新しい村づくり」を構想して
1918年、宮崎県に誕生したのが「新しき村」。その後、宮崎の村はダム湖の湖底に沈むことになり、
こちら、埼玉県毛呂山町で再出発を図ったのが、1939年であったということです。
そうした試みが今にも伝わっていること自体、村の存在そのものと共に忘れられかけているように
思ったりもするところながら、取りあえずはその村内にある実篤記念美術館のお話ということに。
館内は「撮影はだめなんですよ」と受付にいらした、おそらくは「新しき村」村民であるおばあちゃんでしょう、
軽く諭されて見て回ったわけですけれど、武者小路実篤の文章に頼るまでもなく、
その素朴な書画を見るだけでも「新しき村」の理想とするところが偲ばれる気がしたものでありますよ。
「仲よき事は美しき哉 実篤」という言葉は、昔々は漫才だかのギャグにも使われていたくらい、
あまりに有名なひと言ながら、端的に友愛を説いておりますなあ。
さらに「君は君 我は我 されど仲よき」では、いろんな人がいるけれど互いに尊重して仲よくある姿の理想、
今でいう「ヘイト〇〇」の対極にあるところを伝えてもいようかと。
まあ、館内が撮影不可とあって画像が無いとはいえ、実篤の素朴な書画は誰にも想像がつくところかと。
その素朴な絵画は巧拙を超えたところで、人の心に訴えかけてもいようかと思うところですけれど、
そんな実篤の絵を、実にさまざまな人たちが真価を見通しているのですなあ。
例えば、画家の梅原龍三郎はこのように言っておりますよ。
武者小路実篤君の画業は君が余りにも高名な文学者である故に、余技の如く素人画の如く思っている人が多いが間違である。…常に美しと視る処を恐れず飾らず遅疑する事なく率直に表現して、淡々とした美しさを湧き出させている。
やはり画家の中川一政の言うところはこんなふうです。
ある一部の画家は武者さんの画を素人の画だと思っているらしい。色を重ねたり線を抜いたり下塗りしたりする技法が武者さんの画にないためにそう思うらしい。武者さんの画は尋常科だと思うらしい。しかし武者さんにとってはそういうのこそ尋常科だと思うらしい。
も一人、同じ白樺派の盟友である志賀直哉はこのように。
武者小路の絵はもう素人芸とは云えない。私の考えでいえば、素人か玄人かは其仕事に対する作者の打ちこみ方の相違だ。
しばらく前、東京・調布にある武者小路実篤記念館を訪ねたりしたこともあるところながら、
実篤の画が数多掲げられていても、「ああ、野菜か…」てなふうな何とも上っ面で眺めていたのであるなと。
添えられた言葉とともにしみじみと含味してみれば、描き手の思いがたっぷりと込められた「野菜」であったかと
改めて考えるところとなるのでありましたよ。