先日の演奏会でシベリウスの交響曲第2番を聴いたことから、
ヘルシンキ郊外にある作曲者の終の棲家である「アイノラ」を訪ねたことを思い出したりしたわけですが、
思い出は数珠つながりにどんどん湧いてくるわけでして、その時の旅先でのあれこれが蘇るのですな。
スウェーデンのストックホルムからフェリーでもってフィンランドのトゥルクという町に渡しました。
ここにはシベリウス博物館があるものですから、ヘルシンキ直航路線でない方をわざわざ選らんだという。
ただし、この時は朝早くにトゥルクに到着して、まずはバスでナーンタリという町へ向かったのでありますよ。
小さな町ながら、ムーミンワールドがあることで知られているナーンタリ。
ちょいと覗いてみようかという目論見で立ち寄ったところ、なんとまあ、この日は午後にならないと開園しない…。
事前の算段としては、午後にはトゥルクに戻って大聖堂やシベリウス博物館を見て回り、
夕刻には特急で2時間ほどのヘルシンキへ移動と考えておりましたので、
ムーミンワールドは柵の外からの覗いただけ…。なんともせわしい限りです。
先に『わたしが行ったさびしい町』を読んで書いたことを思い浮かべてみれば、
このせわしさを「旅」というであろうか…とも思うところながら、
一方でムーミンワールド(と、その近辺にある土産物店の並ぶ道)を除けば、
ナーンタリは「さびしい町」とも言えるかも。ですが、とても気持ちのよい町でありまして、
「住んでもいい」という気までしたものなのですな。もっとも訪ねたのは夏ですが…。
とまあ、そんなふうに蓋の開いた記憶の世界に紛れ込んでいたわけですが、
はたと気付けばに映画「TOVE/トーベ」が公開中。主人公はトーベ・ヤンソン、
言わずと知れたムーミンの作者でありますねえ。
久しぶりに映画館に出かけてみましたですよ。
しかしまあ、実のところ、ムーミンのイメージは子供向け、かわいらしいてなところに集約されてしまっているような。
キャラクター・グッズを見ても、はたまたナーンタリのムーミンワールドを垣間見たりする限りでは。
さりながら、本当のムーミンの話というのは必ずしも子供向けではないような気がしますなあ。
といって、たった一冊だけ読んだ印象がそういうものとして記憶されているだけなのではありますが。
とまれ、決してかわいらしいというだけではない(はずの)ムーミンが
トーベの心の声でもあるのだろうなあとは映画を見ていても思い至るところなのですよね。
有名な彫刻家である父がかける期待のあまり口うるさいことにいら立つトーベ、
期待されていることを自覚しつつ期待に応えられていない自分にいら立つトーベ、
女性同士の恋愛にはまり込んで相手の気持ちをつかみきれないにいら立つトーベ、
一方で優しく癒しを与えてくれる男性と関係しながらも上の空でいるトーベ、
そして、芸術家に固執しつつ逃げ道のようにムーミントロールの世界に入り込むトーベ、
タブローよりもそのムーミントロールこそが評価されてしまうことに戸惑うトーベ…と、
まあ、そんな姿が描かれているのでありますよ。
フライヤーに見えるように、映画の中でもトーベが躍る、というより乱舞する?姿が出てきて、
エンドタイトルではトーベ本人が踊る姿の映像が挿入されていますけれど、
時に踊る(踊り狂う)姿を思うにつけ、苦悩や逡巡、ためらい、戸惑いを抱える人だったんだろうなあと。
ですが、そんなことに思い至ったときに、いわゆる普通の人の人生でもあるかなあと思ったり。
「普通」というのを先に読んだ本の言い換えに擬えれば「変哲のない」ということになるわけですが、
トーベの人生はとても変哲もないものとは思えないともなりましょう。
されど、そこはそれ、映画という「見せる形」にするにおいては、極端なというか、際だった部分を切り取ったり、
特にフォーカスしたりして見せるために、とても普通とは思えないように見えるものの、
日々の中で抱えて鬱々とすること、反対にちょっとしたことで感じる喜び、うれしさといったものは
誰にも、それこそ「普通の」ひとたちにもあることなはずですから。
映画では普通の人々の普通の日常を淡々と描く…とはならないわけで、
まあ、敢えてそれをする場合はありましょうけれども、芸術家などの著名人を持ってきて
極端化されているところを描く。例えばピカソやら太宰やらの破天荒さを見せるわけですね。
そうでないとお話になりにくいでしょうから。
別にはトーベ・ヤンソンのことを、ピカソだとかと引き比べて芸術家らしくないとか、
そういうことではないのですけれど、トーベの半生を映像でたどる限りにおいて、
浮かんでくるのは「誰にもあるのだよなあ…」ということどもだったものですから、こんなふうに。
ピカソの話を見ているときには「なんと常人離れして…」と思ったところから、
まあ、天才は往々にしてあんなふうでもあろうかいねとばかりの印象でしたですが、
トーベの場合には気持ちのアップダウンにもそっと寄り添えるものがあったなと思ったものなのでありました。
(映画として全体の作りは、個人的に今ひとつの感ありと受け止めたのではあったのですけれどね)