ちょいと前、くにたち郷土文化館の展示でもって、
考古学者・甲野勇という人は博物館作りに取り組んだのであると知ったわけですが、
その甲野が設立に関わったもう一つの施設に八王子市郷土資料館があったのですなあ。
何度か訪ねたことがありましたけれど、1967年開館のこの施設、
半世紀にわたり地域の歴史を今に伝える役割を担い続け、ずいぶんとくたびれていたなあと。
そんなふうに思っていましたら、今年2021年の3月末でついに閉館・・・で、その代わりに、
八王子駅前の大きなビルの中に新たな施設が誕生したのであるということで、
このほど立ち寄ってみたのでありました。
「桑都日本遺産センター 八王子博物館(愛称:はちはく)」とは、
新たな博物館として大いに期待させる名称でもあるかと思うところであったものの、
しかしてその実体は?…と、こんな言い方をするだけで「いささか残念」な感じが現れてしてまっているかも。
ま、期待しすぎがそも失敗だったのではありましょう。
とまれ、どんなふう?ということになりますと、なにやら八王子の観光ガイダンス施設のようですなあ。
新しい施設だけにパネル展示の設えはかつての郷土資料館よりもしゃれたものになっていますけれど、
パネルによる解説が多く、実物(発掘品やら古文書やら)の展示が最小限になっていましたので、
博物館らしくない…とは感じた次第でありますよ。
でもって、パネル展示のキーワードは、「高尾山」と「北条氏照」と「桑都」の3つ。
古くは修験道の道場として拓かれ、今ではミシュランガイドの紹介もあって
外国人も含んだ多くの観光客が訪れる高尾山は、まあ全国区とはいえそうですね。
一方、北条氏照は八王子の歴史と深く関わるとはいえ、
後北条氏五代の系譜に直接見られる名前ではありませんので、どこまで知られておりましょうかね。
三代・氏康の三男で、北条氏が関東一円に勢力を拡大し、維持する中で大きな役割を果たしたとのこと。
城主を務めた八王子城(秀吉の小田原攻めに際して落城)跡を訪ねたことがありますけれど、
いかにも戦国の世の、戦いを前提にした山城であっただけに、登るのにひいこらしてしまいましたですよ。
ところで、氏照がこの地域に目配りするのに最初に入ったのが滝山城ですけれど、
その城下に定期的に市の立つ町を造ったのですなあ。その後、城に移るにあたって、
町も移転させるのですが、八王子権現を祀って城を八王子城と名付けたことが、
八王子の町の名の起こりであるということです。
その後、家康の時代になって大久保長安が今の八王子の市街地の原型を作るわけですが、
そのことは以前書きましたですなあ。でもって、町は甲州道中(甲州街道)の宿場として栄えると同時に、
甲州や上州から横浜へと送り出す絹の集散地としても機能したという。
もとより地元でも養蚕が行われ、故に「桑都」とも呼ばれることになったのでありました…というわけで、
「高尾山」、「北条氏照」、「桑都」という八王子三題噺の完結でございます。
それにしても、(箱もの行政を推奨するものではありませんけれど)せっかくの歴史と文化を語らせるには、
駅前ビルの片隅という施設で良かったのかどうか。いろいろ事情はあるのでしょうけれど、悩ましい限りでして、
それこそ甲野勇が見たら、どう思いますかねえ…。