開国後、居留地の一つだった神戸で洋糖引取商から創業したのが、「大正期に日本一の年商を誇った幻の総合商社」ともいわれる鈴木商店でした。鈴木商店はその後、三菱や三井を超えたといわれたほど巨大な財閥に成長しました。1927年には破産に追い込まれたものの、その系譜には現在日本の各分野で活躍している大手企業が多数あります。

先日読んだ『食べものから学ぶ世界史』の中で見かけたのですけれど、

三井、三菱を超える総合商社?それが鈴木商店?!というところが目に止まり、

その系譜の企業とやらとWikipediaで見て、これまたびっくりしたものなのでありますよ。

 

鈴木商店が設立、あるいは経営に携わったとされる会社にはこんなところもあんなところもという具合。

いずれも時を経るなかではたびたびの合併などの紆余曲折を経ていますので、

全面的に鈴木起源とは言えないものの、有名どころを並べてみますと、神戸製鋼、帝人、J-オイルミルズ、

太平洋セメント、IHI、昭和シェル石油、双日、日本製粉などなどなど、ほお~と思うわけでして。

 

これほど今に繋がる企業群の創設に関わった鈴木商店、気になるではありませんか。

近隣図書館では見つからず、ちょいと足を延ばして手にすることのできた一冊を読んでみることに。

題して『幻の総合商社 鈴木商店 創造的経営者の栄光と挫折』でありました。

 

 

冒頭の引用にもありますとおり、鈴木商店は神戸の洋糖引取商からスタートしたのですな。

引取とは輸入業のことでして、時に明治7年(1874年)であったそうな。

『食べものから学ぶ世界史』での話を思い浮かべてみれば、欧米列強はいまだ帝国主義の時代、

多くの植民地でプランテーション経営をする中では砂糖もその品目のひとつだったわけですが、

開国した日本もこれの販売先マーケットとして注目されたのですね。

 

江戸期までの日本では砂糖は非常に貴重品でしたけれど、これが外国から安く仕入れられるとあって、

洋糖引取商は儲かったことでしょう。ですが、こうしたことに目敏いのは何も鈴木商店ばかりではありませんが、

他に抜きんでて事業規模を拡大できたのは、やはり経営手腕ということになりましょうね。

 

関連品目を始めとして次々と事業会社を設立、自らはその販売を引き受けて、

鈴木商店はあれよと言う間に、時として三井物産の売り上げをも凌ぐ巨大企業に成長するのでありますよ。

 

しかしながら、顧みればこの旺盛な事業拡大欲が自らの死地を招くことに。

鈴木商店は鈴木家の家族経営で始まりましたけれど、大番頭・金子直吉の手腕を認めて、

経営を一手に任せていたことが、成因でも敗因でもあるということで。

 

鈴木商店の事業拡大は第一次大戦の特需にも乗った形なわけですが、

戦後に落ち着きを取り戻す中ではそれなりに事業の方も落ち着いた経営を目指すべきだったのでしょう。

それでも金子の事業拡大志向は止むことがなかった、その「結果…てなことになるわけですね。

 

ただ、金子が放漫杜撰な経営者というばかりであったという評価ではないようす。

なんとなれば、明治初年の日本近代化にあって、欧米企業の技術や知識をいち早く取り入れて

日本固有の製造会社を数多く生み出したという点。これがなければ、日本の近代工業化は相当に

遅れていたのではないかという見方もあるようです。

 

まあ、一面ではそうではあるとして、早くに近代化を成し遂げたことが、

後から振り返って本当に良かったのかどうか…は、誰にもわかりませんし、考えても詮無いことですが。

 

ともあれ、倒産した鈴木商店は残した企業、例えば神戸製鋼や双日などの沿革に

その名を刻むのみになっておりますが、かつて欧米相手に美術商として名を馳せた山中商会などと同様、

知られざる活躍が財閥系企業の影に隠れてしまっていることがあるのですなあ。

(当時の商売を今の尺度でいい悪いは言いにくいところもあるにせよ…)