近隣の図書館に中島みゆきのCDを返しにいった際、新着図書コーナーで見かけた一冊。

『かわいい古代』とは歴女向けかとも思いましたですが、取りあえず借りてみたのですね。

著者の譽田亜紀子(こんだあきこ)という方は、土偶女子を自称する(?)フリーライターでして、

折しも東京新聞夕刊に連載中の「譽田亜紀子の古代覗き見」なる記事を目にすることでもありますし。

 

 

そういえば連載の中でこの方も、先に読んだ『土偶を読む』の見立てには違和感を抱いておられたような。

まあ、古い時代のことでどのみち想像するのであれば、楽しくいきたいものだということでありましょうか、

ストレートな見立てで著者なりに「かわいい」と感じた古代埋蔵物がたくさん紹介されておりましたよ。

 

面白いと思うもの、はたまた「これが古代のものか」と感心するもの、あれこれ紹介されていましたけれど、

まずもって「ほお」と思いましたのは、表紙に並んだもののうち、上段中央に置かれたひと品です。

北海道の遺跡から発掘された土製品ですが、該当ページの「イカ、だよね?」という言葉に触れずとも、

イカだろうとは思うところです。

 

そして何よりこれがニヤッとさせるのは、所蔵しているのが森町教育委員会であること。

JR北海道・函館本線にある森駅の名物駅弁がご存知「いかめし」で、形があまりに似ているではありませんか。

歴史的には「出雲国風土記」(天平五年、733年完成)に「イカ(烏賊)」が海産物として記録されているも、

それより遥かに昔の縄文期、何かしらの願い(イカの豊漁?)を込めて土製品を作っていたのかもですね。

 

一方、秋田県鹿角市の大湯環状列石(要するにストーンサークルのような遺跡ですね)から出土した土版には

サイコロの目のような穴が、それこそ1から6までを表しているように穿たれ(あるいは削り出され)ているという。

人類が数字を認識したのは5500年前のシュメール人であったと言われているようですけれど、

縄文人も負けず劣らず、早い段階から数字を意識するに至っていたのかもしれません。

ちなみに大湯環状列石は縄文後期の遺跡だそうですから、4000年くらい前となりましょうか。

(この土版の写真は、鹿角市の大湯ストーンサークル館紹介ページにある画像ギャラリーで見られます)

 

ところで、縄文時代の遺物と言ってすぐさま思い浮かべるもののひとつは「火焔型土器」でもあろうかと。

さりながら、このタイプの土器は「今から約五千三百年前の信濃川中流域という限られた地域で、

五百年間だけ作られた」という、地域的・年代的にはかなりレアもの?だったようで。

 

後に時代の変わり目に縄文最後の砦となったのが信州・諏訪地方ではないかといったことと併せ、

信濃川には目を離せないところがあるような気がしてきますなあ。

 

こんなふうに見て来ますと、例によって「縄文押し」の一冊?とも思ってしまうところながら、

弥生時代にも古墳時代にも目配りはされておりましたですよ。

 

されど、それにしても世の中的にあまり縄文、縄文と注目されると、

へそまがりとしては弥生の方に判官びいきしたくもなる気にもなったり。

 

にもかかわらず、弥生=稲作文化が即ち、後の資本主義への道を拓いたようにも思えたりするわけで、

素直に肩入れしにくいなあとも。ただ、当時としては日々の食料確保に大変な時間と労力を割いていたところ、

米の大量収穫が可能になったことは画期的で、そのこと自体を(後の状況につなげて先読み的に)

どうのこうの言うのは適当ではないかとも。

 

あまり先入観をとらわらずに弥生時代のあれこれに近づいてみてから考えた方がよいのでありましょう。

本書で紹介されていた「記号文土器」(なんと土器に描かれた記号とは「ニコちゃんマーク」でして)を

大阪府立弥生文化博物館で見てみたいものだとも思ったものですしね。