ちょいと立川駅あたりに出てみたところ、「いったいこの人流は?!」と。

まあ、いつも通りと言えばいつも通りではありますが、

いささか辟易して逃れるように向かったのは昭和記念公園でありました。

 

何かしら、また展示が変わっているかもと覗いたみた花みどり文化センターは

全体訪ねたときよりは観覧者はいたものの全く気兼ねなくゆったりと見て回れる状態で、

4種類の展示のうちのひとつがこちら、群馬直美『葉っぱ描命』出版記念展でありました。

 

 

「描命」と書いて「かくめい」と読みがな。

作者は自らを「葉画家(ようがか)」と称し、葉っぱを描いて40年になるという方なのですな。

されど、いったいどんなふうに描くのか?と思ってみれば、相当に精緻な描き方でありましたよ。

フライヤー裏面からちと拝借すれば、こんな感じです。

 

 

かなり葉っぱにこだわりを示していながら

「葉っぱ以外も描いてるではないの」などという突っ込みは措くとして、

あたかも植物図鑑の挿絵を想定したかのような細密さでして、

いわゆるボタニカルアートてな一分野があるほどに植物には魅力があるということなのでしょうかね。

牧野富太郎先生もたくさん描き留めておられましたしねえ。

 

ふと思い当れば、昭和記念公園内には大鑑巨砲的レンズを装着したカメラで

植物を撮影している方に出くわすことがありますけれど、押しなべて接写に取り組んでおられるような。

花木をアングルに取り込んだ景観を撮ろうという人たちとは一線を画すこだわりがありそうな。

 

と、それはともかく、かよう細密さで植物を描いた作品が並んでおったわけですが、

個人的に特に目を止めましたのが「下仁田ネギの一生」という連作なのでありまして。

 

 

独特の形状を持つ下仁田ネギではないながら、長ネギがだんだんと太っていくようすは

時折手伝いに赴く体験農園で目の当たりにしておりますが、当たり前のこととしてネギがタネから育つ、

そのことを意識しなかったという。体験農園のネギは園主さんが苗にしたものを分けてもらうものですから。

 

一方で、ひょろりとした苗が日を浴びながら土の養分でもって立派に育っていくとして、

ほどほどに太ったところで収穫期を迎えれば、引っこ抜いてきて食してしまう。

ですので、ネギ坊主ができてしまうのを見るのは極めて稀なのですよね。

まったくもっていまさらですけれど、ネギ坊主は要するにネギの花だったとは…。

 

 

そして、「下仁田ネギの一生」の最終段階、「種取り」という段階に至ると見かけたこともありません。

が、世界の農業に広く出回るハイブリッド種(遺伝子組み換えですね)が一代限り、

つまりは種が取れずに栽培を続けるには種を買い続けなくてはならないのであるのと異なって、

次の種まきに備え、種を取ることになるのですよねえ。

花が終わるとキスチョコの形をした実ができる。実の皮が弾けると中は3室で黒い種が1個ずつ宿っている。6月…種を採り、10月、苗床に種をまく。こうして下仁田ネギの命が、聖火の炎のように続いていく。

「種取り」の絵に作者はこんな言葉を寄せておりましたよ。

植物の当たり前の一生、それが人間の都合で作られたものに置き換えられていっておるのだなあと、

近ごろ読んだり見たりしていることからも、そんなふうに考えたものなのでありますよ。