先ごろ久しぶりに「かぐや姫」(昔話でなくしてフォーク・グループです、と一応)の曲を聴きましたときに、
「四畳半フォーク」という言葉を引き合いに出しました。かぐや姫の歌った「神田川」は正しくの雰囲気ながら、
歌詞に出てくるのは「三畳ひと間のちいさな下宿」なのですけれど。
ところで、この「四畳半フォーク」という言葉の生みの親が、ユーミン(荒井由実・当時)だというのですなあ。
自身がそう語っているということがWikipediaに引用されてもおりますし。
それにしても「四畳半フォーク」(「神田川」は1973年)とユーミン(「ルージュの伝言」は1975年)は
ほぼほど同時代でありながら、全く異なる世界観にありますですね。
前者が後ろを振り返っている同時代性とすれば、後者は前を向いた先取りの同時代性とでもいいますか。
なるほどその当時に「ニューミュージック」などとも言われた由縁ではなかろうかと。
「神田川」は仮に三畳ひと間と歌っていなくても、小さな木造アパートだろうなあということが浮かんできますが、
「ルージュの伝言」ではお風呂付きであるどころか、付いているのはバスルームですものねえ。
「神田川」の銭湯通いとはえらい違いです。
ともあれ、そんなカタカナが多用されたユーミンの歌には、いささかの憧れといいますか、
それと同時に憧れを感じているかもしれないことを気恥ずかしく思う気持ちが生じたような気がするのですね。
また、荒井由実が八王子の人だと知ると、東京・下町(どちらかというと神田川が馴染む町)に比べ、
まだ見ぬ多摩地域が何ともおしゃれな、あか抜けたイメージを持ってしまったりも。
東京都心にはせせこましく住宅が立ち並ぶのに対して、多摩ニュータウンといった大きな宅地造成が行われて、
都心では叶わない間取りの家に住めるといった印象も漂う時代でしたから、なおのことだったのでしょう。
今やすっかり多摩に住まっていて、文化度は高い側面はあるものの(もちろん地域差は大ですが)、
実は田舎だよなあと思ったりしておりますが、ユーミンの歌の背景にはかなり多摩、八王子が根付いている、
そんなふうに思えたりもしたものでありました。
と、改めて思いますのは、実は先にも触れた気恥ずかしさといいますか、
個人的な現実とは歌われた世界のライフスタイルがおよそ近しいところがないだけに
さほどたくさんはユーミンの歌を聴いていなかったもので、このほど図書館のCDを借りてきたわけで。
松任谷由実40周年記念ベストアルバム「日本の恋と、ユーミンと。」という3枚組、
もうユーミン・ワールドでおなかいっぱいです(笑)。
これより後、すでに45周年記念ベストアルバムなんつうのも出回っているわけでして、
ことほどかほどに息長く活動を続けているユーミンですが、聴き始めてすぐに分かったことは
初期から最近までの曲がランダム(と思われる)に並んでいる中で、1980年代以降、
新しくなればなるほど聴き覚えのない曲が増えてくるということなのでありました。
もちろんヒット曲も多いですから、比較的あとの曲でもどこかしらで耳にしたというものはありますが、
はっきりと記憶に留まっている曲は、ほとんどが1970年代のもの。まあ、考えて見れば、
だんだと仕事が忙しくなって、およそ流行り歌を聴くことがなくなっていったのだったなと、
ユーミンに限ったことではないことが思い出されたりもしましたですよ。
収録曲の最後の最後、驚いたことにプロコル・ハルム「青い影」のカバーが入っていたとは。
ユーミンにとっては「シンガーソングライターとして生きてゆく道を拓いてくれた曲」(Wikipedia)ということで
オマージュなのでありましょうけれど、個人的にはこの曲、高校時代に放送部が昼休みの放送の、
オープニングに使って毎日聴いていた(聴かされていた)曲だものですから、
思い出のふたが開きっぱなしになってしまい…。思い出したくないこともあるというに(苦笑)。
そんなおまけつきのユーミン追体験、まあ、面白かったですけどね(笑)。