チェコの小説「シブヤで目覚めて」を読んだところで、日本文化がどうのこうのと語ってしまいましたですが、

ふと思い立って図書館から浪曲にまつわる本を借りてきてしまいましたですよ。

 

もっとも著者も言っているように、浪曲は日本の大衆芸能のうちでもかなり遅く出てきたもの。

さりながら、明治以降昭和のある頃までは絶大な人気を誇っておりましたな。

今ではすっかり斜陽化してもいる浪曲界で、実にこの人、目立っている。

著者は浪曲師の玉川奈々福、タイトルは「浪曲で生きてみる!」というものでありました。

 

 

目立っているのではありますが、どうも浪曲師っぽくないなあと思っていたわけですが、

キャリアからすれば大卒で出版業界に入り、大手出版社で編集などに携わっていた人だということですね。

そんな人がなぜに?というあたり、この本で詳らかにされているわけでして、

本人にしてみれば自ら浪曲を唸ることになろうなどとは、全く考えておらなかったようで。

 

何か長く続けられることをやりたいと考えたときに、たまたま目にした浪曲三味線教室の広告。

職場から近いということで取りあえず行ってみたところが、あまり長続きしない人たちの中で

なんとなく続けるうちに、浅草・木馬亭(現在、東京で唯一浪曲の定席が行われてます)の舞台で

三味線を弾くことになり、ややあって今度は自分が浪曲をやるはめとなり…と、

本人が望んだわけではないのに、どんどん勝手に扉が開かれていってしまったとか。

これもまた人生なのですなあ(ご本人もそのように受け止めておられるようで)。

 

ですので、と言ってもは大変に失礼ながら、いわゆる浪曲のイメージからすれば「ん?」というなきにしもあらず。

それでも目立つ存在であるひとつの由縁は、活動が目立つといったらいいのかもしれません。

 

だんだんと浪曲の深みに嵌っていく中で、これほどに素晴らしいものが多くの人の耳に届かないのは

いったいどうしたことか?どうすればいいのか?を考えたときに、おそらくは長らく二足の草鞋で続けた

出版社勤務などの社会経験に培われた企画力、プロデュース力が力を発揮することになったのでしょう。

 

個人的には一度だけですが、木馬亭の浪曲定席に足を運んだことがありますけれど、

公演告知のフライヤーが墨一色の、実に地味なもの。これが浪曲の雰囲気でもあるといえなくもないながら、

通の方々(おそらくは数的には絶滅危惧種の印象でもありしょうか)にはこれでよくとも、

新たに浪曲を聴いてみようという新規顧客の開拓にはおよそ結び付かないものであったような。

 

おそらくは浪曲一途な方々からは、眉を顰められるようなところもあったのではと想像しますが、

それでも確かに著者が繰り出す企画の数々を通じて、初めて浪曲に触れることになった方も

結構出て来ているのではなろうかと思うところです。

 

これによって、「ああ、浪曲ってこういう芸だったんだね」とさわりに触れた人たちの中に

ひとりでもふたりでも、著者本人にがさして意図せず深みに嵌っていたように

もっとディープな伝統の浪曲の世界に入り込んでいくかもしれませんしね。

 

クラシック音楽のように往年の大指揮者による演奏が今でも聴き続けられながら、

新進気鋭による演奏もまた楽しみにする。そんな聴き方が浪曲にもできることでしょうし。