アカデミー賞の外国語映画賞を受賞した…ということよりも、

それがハンガリー映画(フランスとの合作のようですが)であることの方が珍しく、

興味を引いた点でありまして。映画「サンセット」、ハンガリー落日の物語だったのですなあ。

 


時は1913年、つまりは第一次大戦前夜のブダペストが舞台なのですね。

ハンガリーはその名前の名乗りが姓名の順で、そんなところもかつてアジア系民族であったという

名残を感じたりもするところですけれど、9世紀末ごろに現在ハンガリーとなっているあたりに定住し始め、

その後数世紀にわたって自らの国と文化を育んだという。

 

ところで、この定住した民族が(ハンガリーという国名の語感から)世界史の教科書に必ず出てくるフン族と、

思ってしまいがちながら、これは全く違うということで。元来、国としては多民族ながら大勢を占めるのが

マジャール人であって、現在の国名もマジャールがより正解であるとか。

確か同国の切手に書かれた国名もマジャールでしたなあ。

 

とまれ、16世紀に入りますと、ハンガリーはオスマン帝国の脅威にさらされることに。

反対側からはオスマンの拡張を食い止めんとハプスブルク帝国がやってくる。

両者に勝手放題されたのち、結果的にはハプスブルク帝国に組み入れられてしまうのですな。

 

ですが、再三にわたる独立運動に手を焼いたハプスブルク家では、1867年に

皇帝フランツ・ヨーゼフをハンガリー国王とすることでオーストリア=ハンガリー二重帝国に移行し、

なだめにかかったりもするわけです。25年後には、ブダペストをウィーンと並ぶ首都と認めたりも。

 

当時のブダペストの繁栄は相当なものだったようでありますよ。

まぎれもないヨーロッパ有数の都市であったと言われておるようで。

 

とまあ、このような歴史にまつわる部分は映画で描かれているわけではありませんで、

背景を知っておこうと図書館から借りてきた河出書房・ふくろうの本『ブダペスト都市物語』を

読んだ賜物としての後知恵なのですけれど。

 

 

そんな栄華を極めていたブダペストにあって不穏な空気が忍び寄っている。

第一次大戦前夜ともなれば、オーストリア自体もまた熟しきった果実ようであって、

自然と落ちるのを待つばかりといったところなわけですが、ブダペストもまた爛熟が窺えるところです。

 

映画が、王侯貴族、上州階級を相手にする高級帽子店であるあたり、

爛熟、狂乱、淫靡な状況を描き出すのにまさにしっくりくると思えるわけです。

一方で、過激なテロの動きなども潜伏しており、時代のようすが濃縮されているようでもあろうかと。

 

かような時代の空気は音楽からも窺い知ることができようかと思いつきまして、

耳を傾けることにしてみましたのがシェーンベルクの大作「グレの歌」でありまして。

 

 

ちょうど映画の背景となった1913年に初演された曲なのですよね。

残念ながらブダペストではなくウィーンで、でしたけれど。

 

独墺系のオーケストラ音楽はロマン派から後期ロマン派に至り、

ますます肥大化…といってはなんですが、巨大なものになって行きましたけれど、

シェーンベルクというと十二音音楽や音楽の静謐さが印象にあるところながら、

この「グレの歌」はまさに爛熟の極みのような作品だったのですなあ。

 

Wikipediaにはシェーンベルクがこの作品のために「53段譜を特注した」と紹介されておりますように、

声楽として6名のソリスト、複数組の合唱を含み、使用される楽器もまたマーラーもびっくりという規模。

時あたかもオーストリア帝国主義終焉の足音が少しずつ大きくなっていくのと裏腹に、

音楽ではかような巨大作品が生み出されていったわけですが、分けても「グレの歌」は

ハプスブルク朝の白鳥の歌だったのかもしれませんですね。

 

そんな具合でおっかなびっくり聴いてみますと、これが膨大な演奏者数ではあるものの、

音楽は至って静謐感が漂うような。特に第一部は染み入るふうでもありますね。

やはりシェーンベルクですなあ。

 

とまれ、こうした音風景をも通じて映画で映し出されたブダペストを振り返るにつけ、

時代の空気が偲ばれる気がしたものでありますよ。

帝国内に不穏さを抱えたまま、第一次大戦に突入、オーストリア帝国の瓦解によって

ハンガリーは独立した王国となりますが、やがて第二次大戦を経てソ連の傘の下に入れられてしまい…。

 

映画を見たときに感じた「落日」は、このときばかりのことではなかったのですな。

ハンガリーの苦難はこの後も長く続いてわけで…。