このご時勢ですので、展覧会やら演奏会やらの見聞きはあまり登場の機会がないとして、

その分、見た映画、読んだ本のことは都度都度、(的を射た話になっているかはともかくも)

なんだかんだと書き記しておるわけですけれど、映画にせよ、本にせよ、どうにも書けない…と、

そんな状況に陥ることがあるものでして。

 

何かしらを書くまでもないという内容だった…というケースがある一方で、

どうにも考えがまとまらずに書けない…というような場合もあるものなのですね。

芦沢央の小説『カインは言わなかった』の読後感としては、後者でありましたですよ。

 

芸術にすべてを懸けた男たちの、罪と罰。 エンタメ界のフロントランナーが渾身の力で書き上げた、 慟哭のノンストップ・ミステリー!

かような紹介文でもって、冒頭のプロローグではいかにも殺人が行われたのであろう、

まさにその場面から始まるものですから、「これはミステリーなのだあね」というつもりで読み始め…。

 

されど、誰が誰を殺した(かもしれない)という前振りの後は、

登場人物にバレエ・ダンサーの兄と画家の弟という兄弟を配して、

そうであればこそバレエ公演の舞台づくり、絵画の制作という芸術面での話を軸に、

関わる幾人かの人物それぞれの目線で物語は進められていくのですな。

その中では、誰が誰を殺すことになってもおかしくなさそうな状況が数多出てくるという。

 

ところで、読み終えたときにこの本のことを「どうにも書けない…」と思ってしまったのは、

芸術なるものへの入れ込み具合の故でありましょうか。

表現を追求するあまり、自らを追い込むという姿勢には凡人たるもの、

付いていきにくいといいますか、むしろ忌避感を抱いてしまう。

 

芸術性の追求のみならず、スポーツの世界でアスリートたちまた同様でしょうけれど、

ひたすらに「自らを追い込む」ようなことまでしないと頂上には立てないであろうとは想像できますが、

それが故に映画「疑惑のチャンピオン」のようなことが起こったりもするのですよね。

 

のほほんと生きている者には「分からん…」世界であったりするわけで、

自らをであれば自分のことですが、バレエ公演の舞台づくりの方ではカリスマ演出家が

ただただひたすらにダメ出しをするような(どこがどうよろしくないとは自分で考えろということでしょう)

そんなようすがたくさん書き込まれるにつけ、しかも最後の最後ではそれを肯定するようでもあるにつけ、

いったいどんな感想を書けようかと考え込んでしまったという(といって、今は書いてまますが)。

 

ただ、折しも昨日の夕刊に「怒声から名作生まれぬ」という見出しを見かけて、

ああ、自分だけの思いではなかったのだなあとは。記事に曰く、

「創作現場のパワハラやセクハラが問題となる中、映画界で対策を進める動きがあり注目されている」と。

 

かつて怒声を発するのが日常として知られた某映画監督は

「現場をピリつかせれば緊張感のあるシーンが撮れる」なんつうふうにも言っていたそうですが、

その下で助監督だった人がいざ監督として映画を撮るようになって「そんなの幻想です」と。

映画に限らず、創作の現場にはやはり思い違いのメソッドが根付いてしまっているのかもですねえ。

 

とまあ、そんなふうに個人的には読んでいて刺さるところがありはしたものの、

この話がミステリーであるかどうかに立ち返りますと、これまた読み終えた当初は

「これってミスタリーだった?」と思ってしまってもいたという。

 

推理する材料は全て提供したというところで「読者への挑戦」を突き付けたエラリー・クイーン作品、

そんな仕立てがいかにもなミステリー、本格的な推理小説とも言えましょうけれど、

一方でアガサ・クリスティーの『アクロイド殺し』のように、騙し討ちのようであっても、

丹念に読んで行けば「何かおかしい?!」という気付きにつながる読み方が

できるようになっていたりするものもありますね。

 

この作品でも、最終的には殺人が起こり、誰が誰に手を下すかということに

背景となるような書き込みがほとんどないように思ったものですが、

『アクロイド殺し』(決して類似作ではありませんが)のことを思い出して、「そうかあ…」と。

 

要するに直接的な書き込みは無くとも、描き出された人物たちを描き出すことが翻って

犯人の人物像やら事件の背景やらを思い至らせるよすがになっているのであるなあということで。

この直接的でなさは、おそらく評価を大きく左右するところでしょうなあ。

 

人間には闇の部分があるとは分かることながら(闇の深さはまちまちでしょうけれど)、

そうした部分に直球で攻め込まれるのを厭う、甘い?たちですので、

なかなかにしんどい読後感ではありました。もっとも本書のカバー・デザインからして

苦手な表現ではあったので避けて通ることはできたのではありますけれど…。