かつての日常ほどではないにせよ、人がわさわさ行きかっておるところはあるわけでして、
そういうところにわざわざ出向く気にもならないものですから、「んじゃあ、山歩きでも行くか…」とは
これまた誰しも考え付きそうなことでありまして。
遠くも無く、手軽なところとして高尾山が思い浮かぶものの、誰しも考え付くとなれば
高尾山の1号自然研究路(つまりは薬王院への表参道)などは人が数珠繋がりになってたりするのかも。
と考えてしまうと、やっぱり思いとどまったりするわけで、例によってその代わりといってはなんですが、
山岳映画でも見てお茶を濁すか…と。立て続けに2本ほど見てみたような次第です。
ひとつは「アンナプルナ南壁 7,400mの男たち」、もうひとつは「ヒマラヤ 地上8,000メートルの絆」というもの。
前者はスペインで作られたドキュメンタリー映画、後者は実話ベースの韓国映画ですけれど、
話としてはいずれも高地に取り残された仲間を下山させようという物語なのですな。
高峰ひしめくヒマラヤにあってアンナプルナは、最高所で8,091mと標高では世界第十位ではありますが、
登山家の間では「キラーマウンテン」と呼ばれるほどに遭難が多い山でもあるそうな。
これに挑んだ登山隊の中でスペインから参加したベテラン登山家イナキが重度の高山病に陥り、
山頂アタックを取り止めて7,400m地点のキャンプに戻るも、そこで動けなくなってしまう。
このままでは死を待つばかりとなったイナキを救うべく、世界10カ国から12人の登山家が駆け付けて
救出チームうぃ編成、大自然という大きな壁に阻まれつつも無事にイナキを下山させたのでありました。
一方、「ヒマラヤ」の方はご存知世界の最高峰エベレストでの遭難のお話。
下山中に遭難し、8,000mを越える高所に取り残されたムテクの救出のため、
近くにキャンプをはっている世界の各隊に向け、ベースキャンプの韓国隊から無線で必死に呼びかけるも
あまりの悪天候に二次被害の可能性が高く、救出隊を送り出せない状況なのですな。
結果、ムテクの遺体は取り残されてしまいますが、かつての登山仲間がこれを聞き、
「山の中に置き去りにしてはおけない」と遺体を下山させるための隊を結成し、エベレストに挑むことに。
登山ルートから外れた場所に留まっているムテクを探すだけでも大変な中、
天候は味方をしてくれず、遺体を発見はするも、共に下山は断念せざるを得ないのでありました。
この両者を比べて、前者を成功事例、後者を失敗事例のように言うこともできましょうけれど、
極限状況での判断の違いを、結果として見ればこうなってしまうということになりましょうか。
アンナプルナでは救出チームのそれぞれが無理をしてでも助け出す勢いであったわけですが、
エベレストの方にそれが無かったかというと、無理を上回って無茶はできないという判断であったろうと。
そもそも山登り、ましてはヒマラヤなどの超高所への登山は、無理をしなければ登れたものではないでしょう。
ですが、ここでの無理というのは、自らの体力や経験、その場の天候と見通しなどを十二分に考え併せ、
それでも無理の範囲内なのか、もはやそれを通り越して無茶になるのかを判断した結果なのですよね。
登山家は山に登りに来ている。そして、苦労の甲斐あって、頂上までもう少しのところまで来ているとなれば、
そこでは無茶をしてでも登ってしまいまたいと思うこともあるでしょうなあ。ですが、その無茶をする時点で、
判断に冷静さを欠いていますので、自らの遭難ばかりでなく、ともすると二次遭難などの危険の元にも
なってしまう可能性があるわけです。
高峰を目指してきたからには、頂上に立たなければ意味がない。
ましてや断念したとなれば、いつその機会が巡ってくるのかもわからない。
大いに逡巡を生むところでありましょうけれど、それが無理の範囲内なのか、無茶なものなのか、
登山家には常に冷静な判断が求められているのですなあ。
と、ここまで考えてきますと、敢えて言葉にしなくとも直近に想定されている世界的イベントのことが
思い浮かんでしまいます。「4年に一度しかない機会なのだ」とは、
「頂上はもうすぐなのだ」と言っているように思えてきてしまうところでもあろうかと。
冷静な判断でもって、引き返す勇気、諦める勇気を持つことも必要であろうなあと、
2本の山岳映画を見終えて、しみじみ考えたりしたものなのでありました。