さてと、いよいよ甲州街道に出たところで訪ねたのは日野宿本陣でありました。

 

 

甲州道中(甲州街道)は、五街道のひとつとして日本橋を発し、

内藤新宿(要するに新宿ですな)を皮切りに宿場が続き、

最終的には下諏訪宿を経て中山道につながる道筋ですけれど、

「甲州道中のみならず都内に遺る唯一の本陣建築」がこの日野宿の本陣なのだそうでありますよ。

 

 

現在の建物は一度火事で焼失したのちに再建されたものだそうですが、

それでも元治元年(1864年)末に完成したといいますから、優に150年以上は経っておりますなあ。

 

 

回り込んで左手の土間口から入場しますと、広間、玄関の間、控えの間と続く大きな空間でしたなあ。

奥にある控えの間では、土方歳三がよく昼寝をしていた…などとも言われておりますが、

日野宿本陣ではあるものの、実は佐藤彦五郎の家であって、土方にとっては姉の嫁ぎ先、

そんな気安さがあったのかもしれませんですね。

 

 

さすがに大名の宿所にもなるわけですからそこここの意匠に凝っているふうでありますが、

そうはいっても甲州街道を参勤交代で通る大名は、たったの3家であったそうな。

高島藩の諏訪家、高遠藩の内藤家、そして飯田藩の脇坂家、この三つきり。

 

それに一般の人たちの往来の方も、府中宿、八王子宿という大きな宿場の間にありますので、

日野宿にはもっぱら休憩で立ち寄る人が多かったようでもありますよ。

ただ、大雨続きで多摩川が川止めてなことになりますと、滞った人たちでごった返したことでしょうけれど。

 

そうそう、意匠に凝ってといえば、例えばこのようなところはいかがでしょう。

お偉いさん向けの部屋では、こんな柱の根元部分に鯉の滝登りが彫り込んであったりします。

 

 

釘隠しもウサギや蝙蝠を象ってあったり、細かく見るのも楽しからずやでありますね。

なんだかこういう所を見て回っておりますと、「ここは東京か?」(といっても多摩ですが…)と思いますし、

今回のぶらりは全体にプチトリップ感がありましたですよ。このご時勢にせめても、ですなあ。