万一、刑事裁判の被告人となってしまったとき、誰にも弁護士をつける権利がありますですね。

「弁護士に知り合いなどない」という場合にも、国選弁護人を付けることができる。

要するに逮捕され、起訴されて裁判になっても「疑わしきは罰せず」という法理がありますから、

検察側の思い込みで有罪にされたのではかなわないわけで…。

 

ではありますが、限りなく「犯人なんじゃね?」と衆目一致する被告人がおり、

しかも初審で有罪判決の出た控訴審に助力を求められた弁護士は、なかなかに思いは複雑なのでは。

「運命の逆転」はそんなことを考える映画でしたなあ。

 

 

例によって、Amazonの紹介ページにあるあらすじはこんなふうです。

ある日、ユダヤ人教授アラン・ダーショウィッツは、大富豪のクラウス・フォン・ビューローから、妻のサニーの殺害を企て、植物状態にしたという罪で懲役30年の有罪判決となった彼の弁護の依頼を受ける。上流階級のクラウスに対して反感を抱いていたダーショウィッツだったが、事件の真相を追ううちに、意外な真実が浮かび上がっていく。

一貫して無罪を主張するクラウス(ジェレミー・アイアンズ)が常に冷静沈着、

自ら罪を犯してはいないという揺るぎない信念なのか、

はたまた絶対的な証拠があるはずないという犯人の確信であるのか、

見ている側もそのいずれであるかに揺らぎが生じるわけですが、

ことクラウスの、というよりジェレミー・アイアンズの言動は「どこか胡散臭いのお」と。

 

おそらくは初審に当たって検察側もその思いが強かったのでしょう、

結局のところ弁護に付いたダーショウィッツのチームが機動力を活かして見つけ出したのは

証拠の捏造と思える事実なのですな。冤罪事件にありがちなものでありますね。

 

クラウス自身には揺らぎが無いように、証拠はなかなか見いだせないことでの焦りでもあるのか、

結果捏造にも等しい証拠固めで検察は初審を推し進め、そして陪審員たちもやはり

クラウス有罪の先入観を抱いたか、有罪判決が出されたわけですが、

控訴審になり、ダーショウィッツの弁護が実り「運命の逆転」ということになるわけですな。

 

さりながら、裁判で無罪となった事実は、本当に罪を犯していないという真実を表してはいないかもしれない。

実際、弁護チームの面々もクラウスを心底信じられないでいるのですよね。

そうはいっても「疑わしきは罰せず」、初審で提示された証拠をひっくり返して無罪を得るわけです。

 

実に実に悩ましいでしょうなあ。無罪であると誰もが得心できて終わったのではなくして、

有罪の決め手となる証拠が無いことによる無罪。無罪は無罪ですが、割り切れないような…と。

 

このあたり、逆に考えれば初審をひっくり返せなければ有罪確定となったわけですが、

だからといって有罪の事実が罪を犯したという真実を表しているわけではないとも言えましょうから、

裁判というもの、弁護というものが極めてテクニカルなゲーム(といっては何ですが)にも思えるところです。

 

まあ、そうしたゲーム感覚があるからこそ、法廷ものが数多く映画やドラマにもなるのでしょうけれど、

現実がそんなふうではたまったものではないとも思えるところながら、あながち作りごとの世界とばかりも

おそらくは言えないのでしょう。

 

かつて法学を学んだ者の言うことではないかもしれませんけれど、

なんだか弁護士というのも必要悪みたいな職業であるかと思えてきたり。

もっとも法律そのものが、実は必要悪なのかもしれませんですが…。