ブルデューの『ディスタンクシオン』マルクスの『資本論」と、

Eテレ「100分de名著」で取り上げられた本の話が後手後手になってしまっておりましたですが、

少し追いついたような。2月放送分はフランツ・ファノン『黒い皮膚・白い仮面』でありましたですね。

 

 

差別を扱った内容ということで、タイトルの「黒い皮膚」とは

黒人のこと、「白い仮面」とは白人のことでもあろうかと勝手に思い込んでおりましたですが、

これは一人格の中の二面性を示していたのですなあ。

黒い皮膚を持ち、同時に白い仮面をかぶっている…、ここに問題の複雑さがあろうというわけで。

 

作者のファノンは1925年、フランスの海外県、カリブ海の島マルティニークの生まれ。

最下層ではなかったようで、きちんと学校に通うことができたようですけれど、こうした成長過程で

黒い皮膚を持ちながら、白い仮面を被っていくことにもつながっていたようで。

 

フランスではナポレオン3世後、第三共和政となりますが、そこでマルティニークに対しては

「フランス同化政策」が取られていたそうなのですね。Wikipedianにはこんなふうにあります。

黒人への選挙権の復活、植民地県議会の開設、徴兵制の導入など、政治面、文化面の双方において、マルティニーク人のフランス国民への同化政策が進められた。

そうした政策が奏功した一例ともいえましょうか、

フランツ少年は「自分はフランス人である」と健気にも信じ込んで育っていくわけです。

さりながら、後にフランスそのものとの接触が増えるにつれ、

自分は黒人であり、フランス人=白人ではないことに気付かされていく。

 

そこで最初に考えたことは「白人たろう」ということ、

つまりは後にそれが「白い仮面」を被っていると自ら思い知ることになる状態に向かったのですな。

自らが白人たろう、フランス人たろうと考えた背景には、現実に黒人差別があったからですけれど、

黒人でない側に立とうとすることは即ち、自らも差別する側に回ることを意味しておるのですなあ。

 

江戸時代の身分制度として知られる「士農工商」は、

実はその序列よりもさらに下に「穢多・非人」といった被差別民を置くことで安定化?させていたですね。

アメリカ南部に移住した白人層にも階層があり、大プランテーションを経営する側と下働きとなる側がいて、

下層の白人層を宥めるということも黒人奴隷の導入には意味があったとか。

 

こうしたことからも、上には上がいることに諦めはついても、

下にはまだ下がいる、最下層ではないということが無いと人間は収まりがつきにくいのかもしれません。

むしろ人為的に(つまりは理由は後付けで実際には言われなく)作られた階層であったわけですが、

そこで最下層に位置づけられてしまった側はたまったものではありませんですね。

 

と、どっちが上かとか、まだ下がいてよかったとか、そういう話でいる間は

「そうだそうだ、差別はいけん」てなことを外から目線で考えていたりするのですが、

そも「外から目線」であることを自覚させられるということは、我が身に置き換えることを忘れているわけで。

 

ファノン自身の気付きにも似た、この自覚に思い至るにつけ、

「ああ、差別はどこにでも忍び込んでいるのだな」と思わざるを得ない。

この気付きはなかなかに痛いものでありますね。

 

顧みればあのこと、このことが実は老人差別だったり、子ども差別だったりもするのだろうと。

もちろん、はっきりした言動で表してはいないとしても、言動に至るちょいと手前の考えが頭に浮かんだだけでも

差別に意識に無自覚でいたことを思い知らされたりもするわけです。

ものごとに対する受容度が低い自分をきちんと知っておかねばなりませんでしたなあ。

偉そうなことを言っても、やっぱり仮面を被っていたのだということを。