三重テレビ制作のドキュメンタリー番組「祈り~神と仏と~」をTVK(テレビ神奈川)の再放送で見ているのですが、
仏教伝来から神仏習合による受容の歴史をたどって中々に興味深いものでありまして。
まあ、そんなふうに感じるのも、人生何十年もやっていて、神や仏への関心がおよそないままに過ごし、
ようやっと近年になって旅先やら近所の散歩やらで出くわす社寺に目が向くようになったものにとってでしょうかね。
(もっとも、関心の向いている方向は、もっぱら歴史的な側面であったり、あるいは思想としての側面であったり…)
ところで、その番組、全10回中の8回目を先日見たわけですが、
時代は江戸の世を迎え、やがて明治に至り、長らく信仰の形としてあった神仏習合の崩される時がやってくる、
そんなあたりを取り上げておりましたなあ。
焦点の当てられた人物はまず本居宣長です。
江戸の半ばにあっては、まだまだ神仏習合が当然のように考えられていた時期に
「神と仏は別ものなんでないの?」と考えた人だったということで。
本地物、垂迹神という本地垂迹説が当たり前のことと受け止められている中で
かように考えるというのは深い思索の結果でもありましょうかね。
でもって、宣長による「神」の捉え方は「畏まるもの」ということであったそうな。
ともすると「神様が畏まってしまうのかいね?」と思ってしまいそうなところながら、
要するに「人々が畏まる対象が神」ということでしょうか。
森羅万象、さまざまななものごとに畏敬の念を覚える、
例えば日の出を見れば、単に視覚的な見た目の感覚のみならず、「神々しさ」を感じるようなありようを
違和感無く受け止められるのが、宣長の考え方でもありましょうね。
人々が「畏まる」対象はさまざまですから、その対象によっては畏まり方に、
こう言っては何ですが軽重があることもあろうかと。宣長曰く、
神様の中には「ほどほどの神」もいるてなことであるようなのですが、
その受け止め方はまた実に八百万の神々のありように親和性を生むものでもあろうかと。
考えるにさまざまなものごとに対する畏まり具合というのは古くから人が感じてきたことに適うもので、
逆に「神」が絶対的なるものとしてひとりしかいないという考え方にはどこかしら無理がある気がしますですね。
それだけに一神教というのは、絶対的なるもの「人が」作り出すことで自らを厳しく律するための手段であったと
考えたくなるところです。なにしろ「ほどほどの神」を認めては律することはできませんものねえ。
とまあ、そんな思い巡らしをするにつけ、
伊勢・松阪に出かけた折にふいと訪ねてしまった本居宣長記念館でしたけれど、
もそっと予備知識を持って臨めばよかったなあと返す返すも。
と、そういえばこのときの松阪行きの目的のひとつは斎宮跡を訪ねることでしたですが、
そも斎宮跡に出かけようと背中を押したのも、三重テレビ制作の「斎王~幻の宮の皇女~」を見てのこと。
伊勢神宮のお膝元という地域柄でもありましょうけれど、先の「斎王」もあり、今回の「祈り」もあり、
「いいね!三重テレビ」と思ってしまうところでありますよ。