先日『戦国時代は何を残したか』を読んだりしたこともあり、

常日頃からものごとの見方・考え方は通り一遍ではいけんなあと。

見知った教えられ方をそのままに思い込むのは危ういものでありますよねえ。

 

と、そんなことが実は音楽の領域にも通じるのであったかと思い至りましたのが、

年末に放送された2つのTV番組、ひとつはEテレ「クラシックTV」でして、

もうひとつはNHK連続テレビ小説『エール』の総集編だったのでありまして。

 

「クラシックTV」の方は「知っているようで知らない クリスマスの音楽☆」というタイトルでしたですが、

その中で「クリスマス・ソングは長調である」という法則(というより傾向ですかね)が紹介されておりました。

 

イエスの誕生を寿いで、12月の(北半球では)寒い時季ながらも、穏やかに心暖かに過ごすクリスマス。

そこに流れる音楽となれば、「そりゃあ、長調であろう」と思うところですけれど、

クリスマスが(本来の意味合いを離れて)イベント化するようになりますと、

さまざまなクリスマス・ソングが誕生することに。

 

特に恋人たちにとって大事な日と目されたことで、「ひとりきりのクリスマス」を歌う悲しく寂しい歌まであって。

例えばい上げてしまったりして、ワム!の「ラスト・クリスマス」とか山下達郎の「クリスマス・イブ」とか…

ですが、このふたつの曲、いずれもが長調だったというのですなあ。

 

先の番組では「試しに…」ということで、「クリスマス・イブ」のメロディーを短調で聴かせてくれたですが、

いやあ、クリスマスというよりも「お寺の鐘が陰に籠ってご~ん…」と、ひたすらに沈み込む印象。

これでは曲になりませんなあ。やはりクリスマス・ソングは長調がよろしいようで。

 

一方、NHK連続テレビ小説『エール』の総集編でもって、というよりはこれを見ていて

「歴史秘話ヒストリア」で古関裕而を扱った放送回を思い出して、という方が正しいのではありますが、

戦時中勢いに押され、自らもそれが使命と思い込んで数々の軍歌、戦時歌謡を生み出した古関、

そのメロディーが人々に響いたのには理由があったというわけなのですね。

 

海軍からの依頼に基づいて、予科練の歌としても知られる「若鷲の歌」に

古関は長調、短調ふたつの旋律を書いたところ、軍上層部には当然のように長調の受けがよかったものの、

予科練習生(14~20歳の若者たち)の間では短調の方に支持が集まったのだそうな。

結果、今聴く短調の「若鷲の歌」ができあがったということでして。

 

♪若い血潮の予科練の七つボタンは桜に錨~という、あれですが、「七つ」には海軍だけに「七つの海」、

そして訓練に休みは無いとして歌にもなった「月月火水木金金」を示す意味があるというようなことが

Wikipediaにありましたなあ。

 

とまれ、これまでこの曲の調性を意識したことは無かったですが、

勇壮な雰囲気に気圧されて短調であるとは考えたこともないものの、あらためて耳をすませてみれば、

短調だけに悲壮感の漂うから元気(といってはなんですが)のようなところが感じられるような。

 

ただ、この印象こそが戦争に駆り出される者の心情をつぶさに表しているのではなかろうかと。

上層部が気に入ったという長調のメロディーが採用されていたら、予科練生にとって「これが我らの歌」とまでに

歌われることになったかどうか、いささか疑問ですものね。

 

この人の心の機微を捉えた調の設定は、「若鷲の歌」より以前に人気を博していた「露営の歌」も同様ですね。

♪勝ってくるぞと勇ましく~という、あの歌ですけれど、こちらもよく考えてみれば「勇ましく」と歌っているわりに

曲調は勇ましいというよりも悲壮感といいますか。やはりこれも短調だったのですよねえ。

 

ま、古関の戦時歌謡を称揚するわけではありませんけれど、

曲作りに向き合った古関の思いはひしひしと伝わってもくるような。

目的としては戦意高揚が挙げられながら、人々の心の機微を忖度していたのでもありましょうか。

どうせ忖度するのなら、向ける先はこういうことであってほしいものですなあ。

 

ということで、長調は元気に、短調は陰りを帯びてと、確かにそのとおりではありますけれど、

人の受け止め方には複雑な心情があるのであって、それを汲んでみれば

悲しさを長調に乗せ、やむを得ない勢いのほどを短調に乗せるといったことがあるわけで。

なにごとも通り一遍な捉え方だけでは…ということを思い返したものなのでありました。