JR中央線の三鷹駅前にあるビルの中、そこに三鷹市の美術ギャラリーがあるのですけれど、

この12月、ギャラリー内に「太宰治展示室 三鷹の此の小さい家」が出来たと聞き及んだものですから、

出掛けてみたような次第でありまして。

 

 

三鷹は無頼派・太宰の終の棲家となった場所だけに、これまでにも美術ギャラリーで太宰関連の展覧会があったり、

またそこからほど遠からぬところにはかつて太宰が通ったという酒屋「伊勢元」の跡地に「太宰治文学サロン」ができていたり、

そして桜桃忌で知れらる命日には市内の禅林寺にある墓所には今でも人が集まって…という具合に

太宰ゆかりの土地であるわけなのですね。

 

そこで今度は「三鷹村下連雀一一三」にあった太宰の家が再現されたというわけですけれど、

自ら「三鷹の此の小さい家」と書いただけあって、十二坪ほどの敷地に立つ三畳、四畳半、六畳という間取りの家は

当然にして広いとは言えませんけれど、これが新築であったことからしても当時このくらいの住まいが求められもした、

そんな時代でもあったのでしょうかね。

 

もちろん名の知られた作家の住まいとしては質素としか言いようがないものではあったと思うものの、

展示資料からも見て取れるように納税にも事欠く生活実態ですから、住まうべくしてここに住まったということになろうかと。

そのこぢんまりとした佇まいは映画版の「ヴィヨンの妻」をご覧になっておればイメージしやすいでしょうなあ。

 

以前の展覧会で「ほお!」と思った、太宰が描いた絵画が並んでいるのがひとつ見どころとも思いますけれど、

この展示は折に触れ入れ替えになるのかもですね。よく知られた「自画像」とされる作品などは

描かれた年代こそ戦後ではあるものの、エコール・ド・パリの展覧会に紛れ込んでいても違和感ないような、

個性と魅力を持っているように思うところです。

 

三畳間部分を中心に太宰の生涯をたどる展示解説もあったりするところながら、

今回の旧宅再現にもかなり費用は掛かったであろうものの、どうせだったら三鷹市のどこかに

太宰治記念館でも作ってしまったらよかったのになあと思ったものでありますよ。

先に触れた「太宰治文学サロン」も小さなガイダンス施設ですしねえ。どうせならと思ってしまい…。

 

なまじと言ってはなんですが、美術ギャラリーの片隅にもせよ、太宰の展示スペースを作ってしまったがために

元よりさほどに大きくないギャラリーそのものの展示室がより小さくなってしまいましたしね。

ちなみにギャラリー本体では、現在「収蔵作品展Ⅰ」として靉嘔(あいおう)の作品展が開催中でこちらにもちょいと。

 

 

レインボーカラーの作品で知られる画家ですけれど、実はいちばん気になっているのはその筆名でして。

靉嘔(Ay-Oとも)の美術活動はデモクラート美術家協会への参加で始まるようなのですが、

これを主宰したのが瑛九(えいきゅう、Q Eiとも)であって、この不思議な筆名同士に同じ協会での活動以上に

関わりがあるのかないのか、一方でこれまた関わりのほどは分かりませんが、靉光(あいみつ)という画家もいましたね。

 

こうしたことも含めてまたいずれ日本の芸術運動を展観することもありましょう。

ま、今回はそのきっかけということで。