多摩川のあたりを歩いてみたりしますと、ゆったりとした中流域が無いと言われる日本の川の独特さを
あらためて考えるといいますか。ヨーロッパの内陸部を訪ねたりしますと、川に寄り添う町はたくさんあるも、
日本のように高い堤防の向こうが川ということでなく、もそっと水辺が近い感じがしますものね。
ですが、そんな水辺のありようは必ずしも自然にできたわけではない。
川の特徴の違いに応じて護岸工事の施し方が違うということなのでしょうね。
そんなふうに考えたときに思い出すのが、5年ほど前に練馬区立美術館で見たシスレー展で見かけた一文です。
(セーヌ川の)その情景は私たちに豊かな自然のイメージを与えますが、実はこの川の流れも19世紀の近代化、 つまりテクノロジーによって作り上げられたものでした。シスレーの描いた穏やかな川辺風景は、技術の近代化 によって誕生したとも言えるのです。
実は人工的なものでありながらもそうは感じさせない川辺の風景は多くの画家を魅了して、
セーヌ川沿いでもそのあちらこちらに画家たちは滞在してたくさんの作品を残している。
シスレー自身が居を構えたのはセーヌの支流、ロワン川に面したモレ=シュル=ロワンですけれど、
そのロワン川がセーヌに注ぐ合流点となるサン=マメスでも、いくつか風景画を描いておりますなあ。こんなのとか。
ですが、水辺の景色に魅了されるのは何も画家ばかりではなかったということが
デュマ・フィスの小説『椿姫』に書かれてありますなあ。
椿姫に魅せられてしまうアルマン(ヴェルディのオペラではアルフレードですね)ですけれど、
自然の美しさにも目は向いていたようで、こんなことを言わせているのですね。
名前こそ味気ないですが、ブージヴァルはひとが想像しうるかぎりもっとも美しいところのひとつだったのです。
ここに出てくるブージヴァルがまさにセーヌ川沿いの街ですけれど、
「ひとが想像しうるかぎりもっとも美しいところのひとつ」(古典新約文庫版)であるとまで言われますと、
どんなところ?と読んだ人を集める効果もあったのではなかろうかと。
小説『椿姫』が掛かれたのは1848年で、その11年前の1837年、
すでにパリとサン=ジェルマン=アン=レーの間に鉄道が敷かれていますので、
ちょっとした行楽に出かけやすくもなっていたでしょうし、それがパリ周辺では
初めて開通した区間ともなれば、鉄道に乗ること自体もまたお楽しみになったでしょうから。
ブージヴァルはサン=ジェルマン=アン=レーのちょいと手前で、
同様に印象派の画家たちが作品を残したアルジャントゥイユももそっと手前ということになります。
ところで、先にブージヴァルひいきは画家ばかりでないと言いましたですが、
例えば作家のツルゲーネフや作曲家のビゼーもまた。特にビゼーはブージヴァルに自宅を置いていたということで。
一方、ブージヴァルをお気に入りとした画家はといえば、シスレーの他にも、
モネ、ルノワール、ピサロ、ベルト・モリゾらがいるようで。ピサロは隣村の住まいからせっせと通い、
ルノワールには有名なダンス・シリーズの一枚、「ブージヴァルのダンス」がありますなあ。
ルノワールのダンス・シリーズは他に「都会のダンス」、「田舎のダンス」がありますけれど、
それに交じって「ブージヴァルのダンス」があるのは、場所は都会というより田舎かもしれないものの、
美しい村であるところへパリからも行楽客がやってきて、もとは地元の人たちの楽しみであったダンスの場に
都会の人たちも繰り出して興ずる…そんな田舎都会となったようすを、他の2枚と対比して描いたのかも。
こんなことを考えておりますと、どれどれ、ブージヴァルはどれほどのところであるかを
実際に見て確かめたくなるところではありますが、今の時期はそれもまた叶わぬ願いでありますなあ。
今しばらくは想像に遊ぶことでしのぐといたしましょうか…。