たまたまCS「AXNミステリー」の番組表で見かけて、「確かこれは西村京太郎作品…」と思ったことから

録画しておいたドラマ(全5回)をこのほどまとめて見たような次第なのですね。

先に湯河原の西村京太郎記念館を訪ねた折、膨大な著作の中でこのタイトルがあったという記憶が残っておりますが、

『消えた巨人軍(ジャイアンツ)』とは、『サーカスの怪人』のようなちまちまでない大胆な消失トリックでもあろうかと思ったもので。

 

 

原作は1976年、それを1978年にドラマ化したという古い作品なだけになにもかもが「昭和だなあ」という映像でしたなあ。

とまれ、後楽園での試合を終えて、翌日から阪神との三連戦を控え、東京駅から最終の「ひかり」に乗り込んだのが

巨人軍の監督、コーチ、選手ほか37名。名古屋までの間に検札があり、確かに一行は乗車していたはずながら、

ついぞ大阪の定宿に姿を現すことはなく、忽然と消え失せてしまった…というお話なのですな。

 

ありていに言って大胆不敵な誘拐事件であったわけですが、それがどのように行われたのか、

大規模な事件だけに誰しもそれが気になるところで、(あれこれと穴が無いではないと思えるものの、それでも)

西村京太郎、よく考えたなあとは思ったものです。ドラマではそこのところが一件落着となりますと、

すっかり片付いたとなるのですが、どうも釈然としないもやっと感が残ってしまい…。

そこで、トリックが分かってしまってからどうよ?とは思ったところながら、原作本を手にとってみたのでありますよ。

 

 

いやはや、ドラマ版は細かくいろいろと変更されていたのですなあ。もちろんトリックそのものはそのままですけれど、

登場人物たちのキャラクター設定をこれほどいじる意味があったのかどうか。

 

原作では犯人を追い詰める役割に私立探偵・左文字進が当てられているのですけれど、

巨人軍の選手たち37名がごっそり誘拐されてしまったという事件の話題性の大きさから、

警察には連絡できかねている球団首脳が私立探偵に捜査を依頼するというのはありそうな話で、

補佐役には球団からのお目付け役でしょうか、球団社長の女性秘書が行動を共にするという形です。

 

されど、ドラマ版の左文字はそもそも刑事でして、上役の警部の娘と結婚式を挙げ、

ハネムーンのために乗り込んだ新幹線が巨人の選手たちが乗った列車と同じであったという設定。

ハネムーンそっちのけで秘密裡に捜査を始めるのですが、その相方はなんと新妻なのですなあ。

いくら警察官でも民間人の妻と一緒に捜査に当たるのはないでしょうと。

 

最後の最後になって選手の監禁先を見つけあぐねた左文字たちは野球好きの少年たちを

少年探偵団よろしく見回りに出し、場所を特定するというやり方もなんだかなあと思ったものです。

これも原作には無いところですな。

 

そんなこんなの改変のあったドラマ版で最大の欠落は、原作の最終章「自供」にあたる部分でしょうなあ。

ともあれ事件は解決し、犯人グループのリーダーが自供をする場面です。

 

このリーダーは、左文字がその事務所を訪ねたときに本棚に「わが闘争」などを見つけて

ヒトラーへの関心を窺わせていたりした不可解な人物なのですけれど、そもこの事件を画策した思いのほどは

この最終章無くしてはそれこそただの誘拐事件で終わってしまうわけなのでして、底が浅くなる。

それが見終わってもやっと感が残った一因でもありましょう。

 

一方で原作にはこのあたりの書き込みがあり、という以上に全般的によく書き込まれている印象もあります。

先に読んだ『熱海・湯河原殺人事件』のさらっとした書き流しとはちと印象が異なったわけですが、

文庫版原作の解説にはこんなふうに書かれてありましたなあ。

デヴュー当初の作品は社会の矛盾を告発し、その病根を剔抉するという問題提起性が強く、いわゆる純粋本格推理とはほど遠い異色作が多かった。

およそその後のベストセラー作家として作品群とはそういうにイメージの異なるところながら、

やはり解説にあった作家の経歴を振り返ってみても(結構な苦労人でもありますね)、社会の矛盾を告発するような意識、

これがまずありきだったのですなあ。『消えた巨人軍』にもそのあたりが窺えるところなのでありましたよ。

ターゲットが巨人であったのは、単に金がとれそうだからといったことばかりではないと理解できるわけで。

 

ドラマ版を見たところでとどまっていれば、それで終わりとはなっていましたが、

原作に当たり直したところで思いがけずも西村京太郎を見直す(?)ことになり、

昔の作品だったら折に触れて手に取ってみようなかあなどと思ったものなのでありました。