1930年11月、ベルリンの酒場エデンパレスでナチの突撃隊(SA)共産党員を襲撃、
起こされた裁判で被害者の弁護側はヒトラーの証人喚問を行ったのですな。
ときにワイマール憲法下の選挙でナチスは第二党となっており、
政権掌握そしてその後を思い描くヒトラーは、この時期はむしろ労働者層ばかりでなく
上層部の支持をもとりつけるべく穏やかにかつしたたかに動いていたとも思われる中、
創設以来、党と一体であった突撃隊の粗暴な行動を苦々しく思っていたのではなかろうかと。
ま、突撃隊の側にしてみれば、ぽっと現れて党でわがもの顔のヒトラーをこそ
苦々しく思っていたことでもありましょうけれど。
裁判では、突撃隊の行動がナチの本性を現していることを暴露せんと
弁護士ハンス・リッテンはヒトラーと対峙するんですが、穿った見方をすれば
若い弁護士ハンス・リッテンのスタンドプレー的なところもあったよう様な気も。
このときはまださりながら、その後ヒトラーが本当に政権を執るとは思っていなかったでしょうし。
「ナチ党にとって突撃隊は?」といった問い質しに対して
「突撃隊とは…党のスポーツ部隊だ」と答えたりするなどヒトラーは返答に窮し、
怒りをあらわに怒鳴り散らしたりする場面もあったようでして、
ヒトラーの中にはこのハンス・リッテンの名が深く心に刻まれたことでありましょうなあ。
1933年、ついにヒトラーが首相に就任したところで、国会議事堂の放火事件が起こる。
そして、これを機会と政治的な邪魔者が一斉に逮捕される中で
ヒトラーを辱めた男、ハンス・リッテンも収監されてしまうことに。
劇団民藝 公演「闇にさらわれて」はそんなところから始まる物語なのでありました。
話はハンスの母親イルムガルトの視点で進行します。
息子には何の非も無いと、収容所送りとなっている事態の打開を図るべく、
ときにはゲシュタポを訪ねたり、ツテを得てイギリスの政治家に外交的働きかけを期待したり。
ただ、このときのイギリスの姿勢はその後「宥和政策」として知られるものと
同じ路線だということがよくわかりますですね。
一方で、ハンスの母親は息子の解放を求めてがむしゃらに奔走するわけですが、
そこでは息子の生還のためには「できるなら何でもする」、
また息子にも「何でもしなさい」と諭すのですなあ。
このあたり、極めてストレートで、見ている側でも、
心穏やかではいらなくなる部分でもあろうかと思うところです。
結局のところ、ハンスは収容所から解放されることなく処刑されてしまい、
母親はイギリスに移ってナチの弾劾を続けていく。
この芝居の下地にはイルムガルトの著作があるのですよね。
歴史を後から見る者が皮肉なことだなと思いますのは、
ヒトラーを裁判の証人席に立たせたことが、
ヒトラーに突撃隊を切り捨てる決意を固めさせたのではなかろうかとも思えることでしょうか。
暴力に逸る集団である突撃隊に始末をつけたことで、
ヒトラーの(一見)穏やか路線を印象付けることになり、
支持者あるいは容認者の拡大が図れたようにも思うところですので。
このあたりはそもハンスがヒトラーを証人席に引っ張り出した意図とは全く正反対の方向に
歴史は動いてしまったとも言えるわけですから。
とまれ、これまた考えどころの多い芝居なのでありましたですよ。