帝国ホテルの設計を任されたフランク・ロイド・ライトが建築資材にもこだわったことは
以前読んだ『帝国ホテル建築物語』にも石工たちと衝突を繰り返した逸話が紹介されていましたけれど、
このときに使用した石材が栃木県の大谷石なのですなあ。
先に立ち寄った鹿沼市の川上澄生美術館で使用された石材も「おや?」と思いましたものの、
これは鹿沼の石だったようす。もっとも鹿沼の方は園芸用の土の方が有名ですけれど。
とまれ、その鹿沼市に隣接する宇都宮市の大谷地区は石のまちとして知られることから、
こちらにも立ち寄ってみたのでありました。まずは大谷公園へと入り込んでみます。
通路を進んですぐ右手に見えてくるのが巨岩の上に大きな岩のかたまりが乗っているふうな、
これはオブジェというより自然の造形なのでしょうけれど、「天狗の投げ岩」と呼ばれていると。
上にのっかている岩を天狗が投げ上げたという伝承ゆえの呼び名ながら、
見ようによっては天狗そのものにも見えますなあ。
もそっと進みますと、今度は「親子がえる」に到達。大きい岩と小さめの岩が向き合って、
親子のカエルに見えないこともないですが、そもそもこの地域には、
昔々に蜂の大群が襲来した際に親子のカエルが現れて守ってくれた…という伝承があるそうで、
そこからの見立てなのでしょう。奥に見えているのは平和観音でありますよ。
いわゆる摩崖仏の類ですけれど、一般に摩崖仏は掘り出す全体よりも大きな岩壁にレリーフとしてできてますが、
この平和観音は上半身が背中側まで完全に掘り出されておりましたよ。
その名の由来は第二次大戦の戦没者慰霊のため、6年がかりで昭和29年(1954年)に完成したそうでありますよ。
平和観音を右手に回り込みますと、開削された通路が。いかにも石切り場といったたたずまいですなあ。
大谷公園全体が石切り場だったということになりましょう。
で、この通路を抜けた先、先の平和観音を前立ちとして本当の大谷観音が祀られている天開山大谷寺に至ります。
が、そのお話はこの次ということで。