日本ではあまり報道されなくなっているだけかもしれませんけれど、
黒人差別に対する抗議デモは続いているようで。
ただ、そうしたことにもコロナの波は見境なく押し寄せたりもするようですから、
下火になったというより、そうせざるをえなくなっているというべきなのかもです。
とまれ、人が人を差別する、実に実に根深いものがありますですねえ。
リンカーンの奴隷解放宣言が1862年ですからそれから100年余りが経った1964年、
アメリカで公民権法が成立しますですね。
奴隷解放となったからといって、昨日まで奴隷としか考えていなかった人たちを「平等です」と感じられるでもなく、
長く長く差別は残ってしまったわけで、公民権法は一定の成果ではあるとしても、
人々の意識は「はい、そうですか」とはいかない、実に根深いものがあるのですなあ。
結局のところ、少しずつ時間を掛けて変わってきたものとは思いますが、
それでもまだ今になっても続いている。心のどこかに押し込めているような人もおりましょうし。
ところで、公民権法の成立はケネディ大統領が協力に推し進めていたわけですけれど、
ご存知のように1963年11月22日、翌年の再選に向けた遊説の中、ダラスで凶弾に倒れることに。
ですから、1964年公民権法を議会で通過させたのは、ケネディの死後、
副大統領から繰り上がったジョンソンだったのですなあ。
そのことをあまり認識しておりませんでした。
ケネディが(任期半ばで倒れたこともあって)良い方向のことばかり記憶に刻まれたりするわけですが、
そのリベラルな方向性に対して副大統領のジョンソンは正反対では?という印象が。
いわば毒を外に置いておくよりは内輪に取り込んでしまおうという、ケネディの作戦であったのかどうか…。
とまあ、そんなあたりの経緯にも触れるストーリーであったのが映画「LBJ ケネディの意志を継いだ男」で、
タイトルの「LBJ」はリンドン・ベインズ・ジョンソンのこと。
大きな支持を得た大統領で、FDRといえばフランクリン・デラノ・ルーズベルト、
JFKといえばジョン・フィツジェラルド・ケネディ、これらに肖るように「LBJ」などと言っているよと
映画の中では揶揄的に語られておりましたなあ。
しかしまあ、特殊メイクなのでしょうか、ウディ・ハレルソンと言われれば「そうか、な…」と思えますけれど、
だからと言ってジョンソ大統領そのものともいえず、微妙な整形手術結果のようになっております…が、
それはともかくしてテキサス出身のジョンソンには南部の期待の星てな見方がされていましたですね。
当然にして、公民権法をぶっつぶしてくれるものという、南部の期待が背負わされる格好であったような。
確かに南部選出の古参議員は黒人蔑視の発言をして、ジョンソンがいささか諭すようなことを言いますと、
「今の発言はそのまま数年前に君が言ったことだ」と言われる始末。
根っこのところでは、差別当たり前の中で育ってきた人だったのでありましょう。
ですが、話の中で折々示されるのは「ひとに好かれない」ことを気に病む姿なのですね。
そして、それとおもてうらなのか、民主党院内総務として議会の集票に豪腕をふるう傍若無人な姿も。
これは対極に見えて、まさに表裏一体なのでしょう、好かれる大統領になるためには
ケネディの意志を継ぐべきだろうと思い、また議会通過に困難が予想される公民権法だけに
かつて院内総務として振るった豪腕ぶりの、腕の見せ所でもあると考えたのでしょうか。
映画を見ている限りではそんなふうに思えたものです。
この映画での物語はケネディの意志を受け継いだかのように公民権法の成立に尽力したところまでで、
その後の姿はエンドタイトルで少々の説明ということに。
ベトナム戦争の泥沼が北爆でさらに陰惨なものになっていったりしたわけで、
どうにもジョンソン大統領というとそちらの方のイメージの方が強いですな。
とまれ、この時の公民権法成立からでもすでに半世紀以上が経過するも、
根深い差別に業を煮やした人たちがデモを行い、違法行為にヒートアップしてしまう側面も。
ヨーロッパの旧弊から逃れて新しい新天地と目されたアメリカは、
最初から複雑な歴史を背負いこんでしまい、それを未だに解決できないでいる。
「LBJ」のジョンソン大統領を見ても、ひとえに人の考え方の問題ではあると思うのですけれど…。